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サイズミックスターは、競馬関係者となった喜びを初めて与えてくれた
2017.4.12
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西塚信人の個人的な“名馬物語”の2回目は、サイズミックスターです。

なぜ高橋裕先生のところにいたこの馬を?というのは、僕がトレセンに入る前、サーストン牧場で働いていた頃の話になります。

そのサーストン牧場で場長を務められていた添田昌一さんが、僕が怪我をする数日前に亡くなられたんです。以前対談に出ていただいた(2012年3月22日~4月12日掲載。第1回はこちら)ので、ご存じの方もいらっしゃると思います。葬儀に参列させていただいて、当時のことが走馬灯のように次から次と思い浮かんできました。

そのサーストン牧場の前、僕は西山オーナーが所有されている西山牧場の白井分場で働いていました。西山牧場には阿見分場もあり、トレセンに帰厩間近な馬たちはそちらに多くいて、白井分場の方はどちらかというと競馬まで時間のある馬たちが多い状況だったんです。

僕自身、推薦で厩務員試験を受けることが決まっていたので、簡単に言うと牧場で働く時間に限りがある状況でした。その限られた時間のなかで馬乗りを覚えなければならず、より馬を乗るチャンスがいただけるということでサーストン牧場に移籍させていただいたんです。

添田さんはとにかく少しでも多くの馬に乗って、馬乗りを覚えなければならない状況を理解して引き受けてくださったんですよ。

よく騎手の方々が、初勝利の馬や初騎乗の馬をよく覚えているという話を聞くと思いますが、僕自身のそれはサーストンで騎乗して、トレセンに送り出したサイズミックスターだったんです。

多くの育成牧場では、トレセンへの入厩近くになると速い時計を出すケースが多く、最初は当時の僕みたいなスタッフが乗っていても、入厩間近になると上手な人に乗り替わる感じのはずです。それが、添田さんは最後まで僕を乗せてくださったんですよ。

添田さんからすれば、サイズミックスターは大人しく、僕自身が乗っても大丈夫だとわかっていたからでしょう。それでも、初めて競馬関係者になったというか、育成牧場からトレセンに入厩して、レースに出走するというサイクルのなかで役割を担えたという実感を得て、本当に嬉しかったことが思い出されます。

トレセンに入って、毎日調教に乗って、毎週レースに送り出す日々を過ごしていくなかで、あの頃の感覚は麻痺してしまっていることに気づき、ハッとさせられる思いがします。日々の仕事を全うすることに追われてしまっている自分がいるんですよね。

あのような喜びを感じられたことは、いま思い返しても良かったと思います。勝つことはもちろんですけど、四苦八苦しながら競走馬としてデビューに辿り着くこと、ゲート試験に合格すること、あるいは手掛けた馬が繁殖牝馬になって元気な仔馬を生むことなど、それぞれに喜びがあるんですよ。

添田さんと出会って、サイズミックスターと出会い、そこからいろいろ経験して、いまに至るわけですけど、僕の馬人生のなかで忘れられない1頭であるのは確かなんです。

同じ時期、僕が出会った頃は障害馬として活躍していたんですけど、タイキリオンという重賞勝ち馬(02年ニュージーランドT)にも何度か普通の調教で乗せていただいたこともありました。

僕みたいな乗り手が、JRAの重賞勝ち馬に乗せてもらえるなんていうことが、もう言葉にできないくらい嬉しくて、興奮して父に電話をしたことを覚えています。

そのとき父には「馬に教わりなさい」と言われました。いま尾関厩舎でG1勝ち馬にさえ乗せていただける環境でお世話になっていますが、それでもタイキリオンは良い馬だったと思います。

でも、タイキリオンは調教が進んでくると、障害馬となっていた当時でも、僕では乗り切れなくなっていました。走る馬というのは、それくらい違いがあるということなんですよね。

走る馬に乗せていただけるというのは、本当に勉強になりますし、その違いを知るということは、確かに乗り手として財産になります。

それと同じように、サイズミックスターは僕に関係者になった喜びを教えてくれた名馬なんですよ。

添田さんが亡くなり、そして僕自身の怪我があって、初心に返って頑張りなさいということを言われているのかもしれません。

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