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【対談・飯田助手①】今回のゲストは、上原厩舎でダイワメジャーなどに携わった飯田助手です!
2017.7.5
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飯田直毅調教助手…以下[飯]
西塚信人調教助手…以下[西]

西塚信人調教助手(以下西)今回の対談は、上原厩舎で調教助手として活躍されている、飯田直毅さんをゲストとしてお迎えしてお送りします。どうぞよろしくお願いいたします。

飯田直毅調教助手(以下飯)こちらこそよろしくお願いいたします。



[西]飯田さんとは毎朝と言っていいほどお会いするんですけど、お聞きしたいことがあって。上原厩舎は最初からの所属だったんですか?

[飯]そう。上原厩舎は開業のときから所属していました。

[西]ということは、スガノオージ(95年毎日王冠96年カブトヤマ記念勝ち)とか、ノーブルグラス(95、96年札幌スプリントS勝ち)のときにも上原厩舎にいたんですね。

[飯]いましたね。先日、YouTubeでノーブルグラスに太さん(小島太現調教師)が乗って最初に札幌スプリントSを勝ったときのレース映像を見たんですけど、懐かしかったですね。追い切りに乗っていたんです。

[西]そうだったんですね。95年ですか。22年前ですよ。

[飯]そんなになるんだね。確かに、開業して間もないときに、先生とオーナーの牧場にお邪魔して、跨がったんですよ。

[西]そのときから良かったんですか?

[飯]タイプ的には硬い方でしたけど、身体のシルエットが綺麗で、良い雰囲気は感じました。

[西]話が前後しちゃいますが、22年前ということは失礼ですけど、今おいくつなんですか?

[飯]46歳です。平成3年にトレセンに入りました。

[西]ということは、何歳のときにトレセンに入ったんですか?

[飯]19歳です。

[西]初めて馬に触ったのは何歳でしたか?

[飯]17歳かなぁ。

[西]高校生のときですか。

[飯]馬の仕事がやりたくて、やりたくて仕方がなかったんですよ。何かないかなぁと思って探すと、中山競馬場の乗馬クラブがあって、そこに通ったのが馬に触った最初でした。その後、堀さん(現調教師)が入ってきたのかな。

[西]中山乗馬だったんですか。そこからはどうしたんですか?

[飯]高校2年生で、1年間土、日に乗っていて、どこか働ける牧場はないかと思っていたときに、「明日からでも布団持って来るならばいいよ」と、西山牧場白井分場にお世話になることになったんです。

[西]そう、西山牧場白井分場にいらっしゃったということは、僕の先輩にあたるんですよね。

[飯]ダイワメジャー皐月賞を勝った当日に牧場に寄って、ニシノタイガという馬をみせてもらったんですけど、ちょうどその頃にいたのかな?

[西]たぶんそうかもしれません。話を戻しますけど、馬に触れてわずか2年くらいでトレセンに入ったということですか。

[飯]昔はそういう感じだったんですよね。最近は牧場で1年とか2年勤務しないと駄目というルールがあるらしいけど、1年間牧場でやるように言われたんですよね。

[西]誰か知り合いがいたんですか?

[飯]全くいませんでした。高校のときに学校をサボって、競馬学校を見に行ったことがあったんですよ。「ちょっと馬を見せてください」と入っていったんです。

[西]アポ無しですか(笑)。

[飯]そうです(笑)。すると「馬やりたいのか」と聞かれて、「やりたい」と言うと「牧場で働いて来い」と言われて、それで卒業と同時に牧場に入って、1年4ヶ月働きました。

[西]その当時、競馬学校は何ヶ月制だったんですか?

[飯]4ヶ月です。

[西]本当はベテランだったんですね。ブッチャけますと、さすがにノーブルグラスの頃はご存じないというか、トレセンにいなかっただろうな、と思っていたんです。

[飯]それが当事者だったんですからね(笑)。あの当時は、結構若い人たちがいました。関東では僕が一番若かったですけど、関西には僕よりも年下がいましたよ。

[西]えっ、本当ですか。ということは、18歳、17歳とかですか?

[飯]そうですね。

[西]僕たちの頃は、どんなに若くても10代はいない感じでしたよ。そういう面でも随分変わりましたよね。すみません、勝手なイメージでもっと後になってからトレセンに入られたんだと思っていました。ということはうちの二口さんは、飯田さんの後ですか。

[飯]トレセンに入ったのは後だね。フタ(二口助手)は嶋田功厩舎で、そこでは小島茂さん(現調教師)も同じで、ワイワイやっていました。

[西]その頃には上原厩舎だったんですよね。

[飯]いや、最初は佐藤征助厩舎所属だったんです。西塚厩舎と同じ並びでした。

[西]そうなんですね。何年いたんですか?

[飯]佐藤厩舎に2年いて、3年目になるときに「若い助手を探している」と何人かの方から声をかけていただいて、縁あって開業から上原厩舎にお世話になることになったんです。

[西]ということは、いろいろな経験をされてきているんですね。

[飯]そんなことはないですけど。

[西]まずお話を伺いたいのは、先ほど名前が出たノーブルグラスです。開業間もない上原厩舎に初の重賞勝ちをもたらした馬です。

[飯]本当に根性がありました。喉頭蓋エントラップメント、いまで言うEEという喉の病気があったんですよね。後になって良くなったんですけど、競走馬として一番脂が乗っていたのは、いまの表記で言うところの4歳秋、最初に札幌スプリントSを勝った後でした。

[西]具体的にどんなところで強いと感じましたか?

[飯]当時、府中牝馬Sは1600m戦だったんですけど、休み明けで1枠2番という条件になって、引っ掛からなければ勝てるんじゃないかと思っていたところ、引っ掛かってしまったんです。それでも3着に頑張ってくれて、その次のスワンSではレコード決着にも関わらず、勝ったヒシアケボノの2着になったりと、勝つことはできませんでしたけど、強いと感じさせる競馬をしてくれていました。ところが、週が明けた木曜日に乗って喉から「ヒュー、ヒュー」と音がしたんですよね。

[西]そこからマイルCSに出走して、18着と惨敗しています。

[飯]もう喉が変でした。直後に手術して、その休み明けのオープン特別で勝ってくれたんです。その後も勝ってくれましたけど、あの時の勢いは、本当に登っていくような感じがありました。

[西]最初の札幌スプリントSを勝ったときは前走で今で言う1000万を勝ったばかりで、格上挑戦だったんですね。

[飯]あまりにも具合が良かったので、先生に「格上挑戦ですけど、どうですかね」と打診しました。2頭出しだったんですけど、先生は「そうしよう」と言ってくれたんですよね。トラックマンたちの方々は、もう1頭の方を重点的に聞いてきたんですけど、ノーブルグラスの方がデキそのものは良いので面白いと思います」と話したことを覚えています。

[西]それくらいデキが良かったということなんですね。

[飯]これが面白いんですけど、札幌に行くと飼い葉の食べ方も水の飲み方も全くと言っていいほど変わったし、走りそのものもフットワークが大きくなって、まるで別馬かと思うほど変わり身をみせたんですよ。いまで言う6歳の夏も、少し衰えたかなぁ、という思いがどこかにあったんですけど、北海道に連れて行くと、やはりもの凄い変わり身をみせていました。

[西]確かに勝ってはいないものの、2、3着に頑張っていました。

[飯]キーンランドC(当時OP特別)は的場均さん(現調教師)が乗っていたんですけど、珍しく「寄られていなければ勝っていた」と声を荒らげていたのを覚えています。

[西]いやぁ、このあたりの話はオールドファンの方々にはたまらないんじゃないですか。僕自身は中学生でよく覚えていませんが、見ていたはずですよ。特にスガノオージはうちのカネツクロスと走っていたので、よく覚えています。

[飯]毎日王冠ですね。でも、その2走前のエプソムCではカネツクロスに負けてしまいました。

[西]毎日王冠スガノオージは10番人気でしたが、激走は予見できていたんですか?

[飯]デキだけは良かったんですが、でも正直、そこまでは思っていませんでした。稀にみる道悪(重馬場)になってくれたことも良かったんでしょうね。

[西]その後、上原厩舎といえば、ダイワルージュダイワメジャーの姉弟ということになりますね。

[飯]ルージュがお姉ちゃんなんですけど、その3年くらい前の夏に、社台ファームにお邪魔して馬に乗せてもらったときに、繁殖牝馬もみせてもらったことがありました。ダイナアクトレススカーレットブーケなど3頭くらいが放牧場にいて、“写ルンです”で写真を撮らせてもらったんです。

[西]話を折ってすみませんけど、“写ルンです”だから、時代を感じますね(笑)。

[飯]スマホじゃないですからね(笑)。そのときに、スタッフの方が「アクトレスよりもスカーレットブーケの方が面白いかもしれません」という話をされていたんです。

[西]その後、そのスカーレットブーケの産駒が上原厩舎に来ることになるわけですね。

※次回に続く

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