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【対談・横山義行騎手④(終)】ケガをした騎手に対し、ケアする制度はあっていい
2017.12.29
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横山義行騎手…以下[横]
西塚信人調教助手…以下[西]

[西]今回、義行さんが引退し、そして第二の人生を進むことになったわけです(※12月15日、今年いっぱいでの引退を発表)。誰もが『義行さんがJRAを去ることはJRAにとって計り知れない損失だ』と口を揃えて、『直接JRAの理事長に直訴する』とまで言うんですよ。

[横]そんなことはないですよ。でも、そう言っていただけるだけで幸せです。

[西]いまでも麻痺が残っていらっしゃるんですよね?

[横]だいぶ良くなりましたけど、右が完全ではありません。

[西]文字は右で書けるけど、お箸は左だけですもんね。そういう状況で調教師試験を受験していたんですよね。

[横]リハビリをしていく段階で、騎手として復帰するのは厳しいと感じました。馬に乗るのが厳しいということは、調教助手になるのも無理です。そうなると調教師ということで、試験を受けたんです。でも、最初から受けるのは2回だけと決めていたんです。

[西]いかなる理由があろうとも、騎手の方は3年間騎乗実績がない場合は騎手免許の更新が認められない、という決まりがあります。ですから、その間に合格しないと、助手として働くことができない限り、今度は外部受験者扱いになってしまうわけですよね。そうなると本当に厳しいですよ。佐藤哲三さんも同じような状況で、解説者という道を選ばれたと聞いています。

[横]実際、こうなってみて思うことは、馬に乗る以外に何ができるかと言われると本当に選択肢がないんですよね。中学校を卒業して、それまで馬にしか乗ってきていない中で、全く違う職業というのは本当に難しいと痛感します。

[西]いま、アスリートの第二の人生をどうするのか、ということが話題になっていますよね。その道を極めてきた一方で、第二の人生の選択肢はごくわずかしかないのが現実です。まさか、義行さんがこういう形で現役を終えられるとは想像もつきませんでした。

[横]本当に怪我が多い現役生活でしたけど、怪我で騎手を辞めるとは思っていなかったですし、それだけはしたくなかったんです。でも、それは仕方がありません。競馬で負った怪我ですから、その現実は受け止めなければならないと思います。

[西]その気持ちは初めてお聞きしました。

[横]体力の限界とか、もうやり尽したという形での引退を思い描いていました。自分で決めたというか、辞めざるを得ないという現実を受け入れざるを得ないということですから。

[西]ブッチゃけてしまえば、納得できていないということですからね。

[横]納得はできない。やはり怪我では辞めたくありませんでした。だけど、少しずつですけど、仕方がないんだと思うようにはなってきました。年齢的にも厳しくなりますから。でも、騎手は続けたかったです。

[西]怪我をしてからの3年間だけでも、いろいろな葛藤があったと思います。自分自身としては、それまでと変わることなくお付き合いをさせていただいてきましたけど、ご本人が一番苦しかったでしょうし、その思いは冷たい言い方ですけど、義行さん本人しかわからないと思うんですよ。もちろん、義行さんの引退は残念だし、悔しい。でも、一番悔しいのは義行さんなんですよね。ここまでにも辞められるんじゃないかということがありましたし。ハッキリ聞いてしまいますけど、もっと早い時期に辞めておけば良かったと思ったりしますか?

[横]正直、そう思ったこともありました。辞めていたら、今回怪我をすることもなかったわけですからね。2割カット(※2013年から、騎手が調教助手に転身する際に給与がそれまでの2割カットされた)の話が出たときにも、一瞬悩みましたよ。たぶん、あの時は多くの騎手が悩んだと思います。

[西]他の人たちからも、もう少し早く辞めておけば良かったというような意見を聞きます。でも、勝手なことを言わせていただきますけど、僕はそう思わないんです。

[横]自分自身でも良かったと思っています。

[西]結果はこうなってしまいますけど、あそこで辞めていなくて良かったと思っているんです。どこか、そういう言葉に悔しさを感じてしまって……。

[横]自分でもあそこで辞めなくて良かったと思っています。あくまで結果論だし、こうなってしまったからそういう考えになるんでしょうね。辞めるかどうか、というのは誰でもない、自分自身で決めること、そして決めたことです。



[西]逆に言えば、あのタイミングで続けることを決めたことも義行さんご自身ですからね。

[横]あの時、家族にも一応話はしましたけど、何も言われることはありませんでしたし、すべて自分自身が決めてきたことなんですよ。

[西]話は変わりますけど、いまでも鮮明に覚えているのは、加賀厩舎(※デビュー当時の所属厩舎)が解散となるとき、『来週から調教で一番に乗る厩舎はどうなっているんですか?』という話をしたときのことです。

[横]ああ、あったね(笑)。

[西]ウチはどうでも良いと言いますか、『他で依頼されたらそちらを優先する形で構いませんので、お願いできますか?』と言うと、OKしてくれたんですよ。あのときは本当に嬉しかったぁ。あの横山義行が一番を西塚厩舎に乗ってくれるんですから。

[横]ただ、西塚厩舎に行く時に、他の厩舎の前を通る時だけは気を遣いましたよ(笑)。

[西]有力厩舎だと、“空けてもらえ”的感覚だったりするじゃないですか。

[横]言われたことはありませんけどね(笑)。

[西]そういう雰囲気ですよ、確かに。他から声はかからなかったんですか?

[横]いくつかは声をかけていただきました。

[西]よく西塚厩舎を手伝いましたね。

[横]確かに(笑)。

[西]あ、一番断りやすいからですね(笑)。

[横]何かあったときにはね(笑)。楽っちゃ楽ですよね。

[西]そうですよ。『ごめん、明日一番駄目だ』と言われても『大丈夫ですよ』となりましたからね。

[横]ただ、平場の馬たちは調教だけという思いはありましたので、一番はどこでも良いとは思っていました。

[西]障害馬が一番からというケースはほとんどありませんからね。

[横]そう言いながらも、平場もよく乗せてもらいましたよ。

[西]乗っていただきましたよね。逆に障害馬はそこまで作っていただいて、レースでは乗っていただけなかったりしました。

[横]だって、良い馬がいないんだもん。

[二人](笑)

[西]それは間違いありません。ノボライトニング(※2007年新潟ジャンプS2着など)くらいでした。

[横]そうでしたよ。

[西]でもあのときのことは本当に忘れられないんですよね……。そういう中で義行さんの息子さんが騎手を目指して、またトレセンに来るというのは、僕自身にとっては心の救いになるんですよ。

[横]そう思っていただければありがたいですよ。

[西]僕自身何かできることがあったら、ぜひにと思います。

[横]調教師になったときには頼みますよ。

[西]もちろんです。

[横]無理かもしれないけどね。調教師になるのが。

[二人](笑)

[西]息子さんを騎手にしようと思っていたんですか?

[横]全く思っていませんでした。今回騎手になるのは次男なんですけど、同じように幼い頃から競馬場に連れて行ったりしていた長男は全く興味がありません。それに対して次男は早いうちから『騎手になりたい』と言っていたという感じです。

[西]ご自身が10何箇所も骨折をして、そしてまだ麻痺が残ってしまって、騎手人生にピリオドを打たなければならなくなってしまったわけですよ。ブッチャけ、良いことばかりではないわけですよ。

[横]馬に乗りたいと自分から言ったわけだし、その意志は尊重してあげないとと思います。

[西]騎手になりたいと言われたときは、嬉しかったですか。

[横]嬉しかったですよ。一緒に乗りたいと思いました。

[西]障害で、ですか。

[横]乗せてしまえばいいんですから。

[西](笑)



[横]怪我をしてしまったので、その思いは叶わなくなってしまいましたけどね。でも、騎手ってどうだと聞かれたら、いまは勧めません。25年間騎手をやってきましたけど、怪我をした直後はいつももう辞めようと思いましたよ。それが不思議なことに、怪我が治っていくと『また乗るぞ』、『乗りたい』と思うようになるんですよ。

[西]復帰は無理だと感じ始めたのは、いつ頃だったんですか?

[横]どうかなぁ。1年が経とうとした頃だったかもしれません。

[西]そう思うきっかけは、何かあったんですか。

[横]怪我して半年くらいまでは良い感じで回復して行ったんですけど、そこからがなかなか良くなっていかなかったんです。1年近く経過しても麻痺が良くならなくて、『ああ、このままではもう乗ることはできないんじゃないか』という思いにはなっていきましたよね。

[西]義行さんにしか本当のところはわからないんですけど、その気持ちを考えると……。

[横]脊髄損傷ということにはなってしまいましたけど、この程度で済んで良かったと、レース映像をみるとそう思います。取りあえず生きているわけで、そう思わないとね。握力も右が15キロまで回復してくれました。そこからは戻らないですけど、ボチボチやっていきますよ。

[西]競走馬に乗るというのは、本当に大変だし、命がけだということなんですよね。

[横]力がないとだめだし、いまの自分ではやはり乗ることはできないのが現実です。

[西]最後にこれは僕自身の思いなんですけど、義行さんみたいな状況に対して、競馬学校の教官だけではなく、裁決委員などいろいろなセカンドライフの選択肢があるべきというか、なきゃいけないと思うんです。

[横]確かに、僕も含めて、騎手のほとんどは中学校、あるいは高校を中退して、そこから馬に乗ることしかやってきていません。そういう人間たちが、馬に乗ること以外で生きていくということになると、決して簡単ではないのが現実です。幸い、ここから生きていく道をご紹介していただきましたけど、もちろん不安はあります。そういう意味で、ケアというか、制度的な部分で何かあっても良いと今回自分が引退することで痛感しました。

[西]いま、いろいろな競技でプロ選手の引退後に注目が集まっていますけど、本当にそう思います。鉄人・横山義行を引退に追い込んだ怪我だからこそ、そういうケアというか、制度が作られるべきだと思うんですよ。

[横]ないよりはあった方が良いのは確かでしょうね。

[西]横山義行の引退を無駄にしないためにも、声をあげたいです。本当に遅くまでありがとうございました。今度は義行さんと、矢原さんと二口さん(※ともに尾関厩舎の調教助手)とただただ酒を飲みたいです。ありがとうございました。

[横]ありがとうございました。

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