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『トウショウナイトに教わったこと』 武士沢騎手との対談・第3回です
2009.03.26

実は先週、尾関厩舎として、引き継いだ形ではない馬たちが初めて出走したのですが、残念な結果となってしまいました。

まだまだこれからだと改めて気合いが入っています。ぜひ、みなさんも尾関厩舎を応援してください。

『新しい厩舎の話を少しはしてください』というメールをいただくのですが、僕自身がまだ慣れていない部分があるもので、「徐々に」ということでお待ちください。

あっ、メールと言えば、『成長なされていますね』、つまりは『太りましたね』というメールを何人かの方々からいただきました。

否定はいたしません。ただ、いま一生懸命新しい厩舎で働きながら絞っている段階ということでご理解いただければと思います。

あまり僕の話をするより、対談へいきましょう。それでは、武士沢騎手との対談の続きをどうぞ。


[西塚信人調教助手(以下、西)]あの時の乗り替わりは武士沢さん自身では、スンナリ受け入れられたんですか?

[武士沢友治騎手(以下、武)]というか、現実として受け入れなければならない。そう思っちゃいけないのは分かっているけど、ブッチャケけ、『これだけの馬に乗せてもらっているのに勝てないようじゃ』と弱気にもなったりした。でも、良い時期を知っているわけで、本当じゃないという思いも実はあったわけですよ。

[西]でも、よくよく考えれば重賞どころか、オープン特別だってそんなに勝てないからね。

[武]あのディープインパクトさえ負けちゃうんだから。

[西]そうだよね。ブッチャけてしまえば、未勝利ひとつ勝つのだって楽じゃないからね。

[武]でも、トウショウナイトは期待させてくれていたし、実際、勝てないまでも掲示板を外さなかったりと、善戦してくれて、本当に頑張ってくれていたから。でも、何よりキコウを骨折して、あそこから復活できるとは、正直、思っていなかったんだよ。

[西]話は逸れちゃいますが、キコウを骨折するって、レアケースですよね。変な話、どうなるの?

[武]手前を替えなくなった。

[西]あっ、そう。

[武]その後、函館記念の時、手前を替えなくて強引に替えたらポキッて音がしたことがあったんだよ。「あっ、折れちゃった」と一瞬ヒヤッとしたし、今でも何だったんだ、と気になっているんだけど、でもそれからはスンナリと手前を替えるようになった。

[西]何かハマッたのかな?

[武]ハマッた。いや、北海道での滞在競馬が良かったのかもしれないし、こればかりは分からないけど、あの後の札幌日経オープンをブッチ切って勝ったからね。

[西]そう、エフテーポラリスの時(同日の12Rでエフテーポラリスが2着)。忘れないよ。

[武]あれも勝ったと思った。

[西]いや、勝ったと思ったよね。

[武]2着だった。

[西]こうして振り返ると、あの時のように、どこか行った時に武士沢さんに未勝利、500万を頼むことが多かった。

[武]乗り役としては、それがありがたい。

[西]田辺曰く、『2場開催で乗せてくれる厩舎が好き』らしいですから。

[武]それはある意味、本当。

[西]確かに分かるよね(笑)。話をトウショウナイトに戻しちゃうけど、今でも聞いていいのかなと思うところはある。

[武]ちょうど1年になるんだよね。昨日のことのように思えたりもするし、遠い昔のことのようにも思えたりするのよ。

[西]忘れられないのが、あの後に一緒に飲んだ時に、『これは一生背負っていかなければならないんだ』と口にしたシーン。今でも鮮明に覚えている。

[武]乗っていたのは俺だし、結局は、跨ってしまえば責任は俺たち乗り役だから。

[西]あの言葉は重かった。もちろん、どの馬にもそういう思いがあるんだろうけど、トウショウナイトはそれこそ毎日乗っていましたからね。

[武]厩舎のスタッフの人たちにも乗ってもらっていたけど、助手の人が骨折してしまった時期などは、確かに毎日乗っていた。もちろん馬を痛めちゃいけないという緊張感もあったけど、別の意味でもドキドキしたよ(笑)。

[西]いやぁ、悪くて有名でしたからね。美浦でも伝説的な1頭だと言われてますから(笑)

[武]古馬になってからは多少おとなしくなったけど、3歳のあたりは『いつ落とされるか分かりません状態』だった。

[西]俺がアルファヨンジュンにぶん投げられている姿を見て、保田先生が『ナイトを思い出すよ』って言ってね。

[武]いや、ヨンジュンはかわいいものよ。でも、あなたはぶん投げられ過ぎでしょう。

[武・西](大爆笑)

[西]Aコースの入り口で止まっちゃうんだ、これが。読者の方々に説明しちゃうけど、何回出しても止まっちゃって、その度にぶん投げられちゃうわけですよ。

[武]そう(笑)。

[西]ある時、『助けて』って厩務員さんに叫んでいたらね、『大丈夫かっ!?』と助けてくれたんですよね。

[武]『乗る』って言うから、たまには見てみようと思ってふと見たら、ぶん投げられちゃってるんだもん(笑)。

[西]あの時ほど、武士沢友治が頼もしく思えたことはなかった(笑)。いやぁ、格好良かったからね。

[武]でも、それくらい人間ってぶん投げられるというか、飛ぶんだと思うくらい、飛んでたからね。そりゃ、Aコースの入り口まで走っていくって。

[西]いやぁ、あの時は本当に飛んだ。

[武]あの後に、あれを見ていた人たちから『お前が乗ってぶん投げられるのを期待していたのに、つまらない』って言われたからね(笑)。

[西]武士沢さんが乗ったら、また普通に走っちゃうからね。そう言えば俺も、『お前、そんなに重くても飛ぶんだな。馬の力ってやっぱりすごい』って言われた(笑)。

[武]確かに。

[武・西](大爆笑)

[西]話を戻しますが、トウショウナイトに教わったことってどんなことなんですか?

[武]多過ぎるくらいありますよ。

[西]G1も数多く一緒に行きましたからね。それも含めて、こう何かトウショウナイトだけに教えられたみたいところってあります?

[武]そうね、普通は馬も人間と一緒で大人になっていくものなんでしょう。若い時は入れ込んでみたり、遊んでみたりと、ヤンチャであっても、やがて変わっていくものなんだけれど、あの馬だけは大人になるどころか、常に俺にプレッシャーを与え続けていた。『おい、油断するんじゃねぇぞ』という雰囲気を常に感じさせられていたのよ。それも競馬に行って。

[西]えっ、調教中じゃないんだ?

[武]攻め馬はアイツの邪魔さえしなければ大丈夫だし、むしろおとなしい。変な要求をすると、怒る。あと、物見はいつものことだったし、基本的にはそれ以上はなかった。

[西]確かに、俺が見た中で、札幌日経オープンを勝った時は最高にダサかった。失礼ですが、忘れられません(笑)。

[武]あの時は、『勝ったぁ、よし』とガッツポーズをしようとした瞬間、ゴール板で物見したんだよね(笑)。それよりも、返し馬の時。絶対に油断できなかったというか、絶対に格好良く返し馬なんてさせてくれなかった。

[西]あっ、そうだったんだ。

[武]いまだに覚えているのが中山金杯の時に、返し馬に行ってポケットに向かおうとした時に大ブレーキをかけられた。2、3完歩でドンという感じで止まってしまって、あれは油断してたら間違いなくあなた張りに飛んでしまったでしょうね。

[西]間違いない。よく飛びませんでしたね。

[武]それまで乗っていて分かっているから、普通に返し馬させてくれないのは百も承知ですよ。中山で言えば、2500mのスタートの方まで返し馬していくと、馬鹿付くような格好をして内馬場に入っていくのはある意味当たり前みたいなね。でも、まさかあそこでブレーキをかけるとは、正直、驚いた。

[西]角馬場とかはどうでした? それで大丈夫なの?

[武]全然。乗りやすかったし、むしろ動かないくらい。自分の流れが分かっている場所で、流れを壊さなければ大丈夫というようなところはあった。『余計なことをするなよ』と背中で訴えるような雰囲気を感じたことはあったね。まあ、そういう言い方をすると馬を御すという意味では御せていないと言われちゃうかもしれないけど、逆にその馬の持ち味を活かそうという意識の方が強かったわけですよ。

[西]ある意味、伝説の1頭と言われる存在でしょう。

[武]もちろん、2、3歳と言った若い時には教えなければいけないことはたくさんあるし、教えましたよ。それが古馬になって『大人なんだから、分かってるよぉ』と言う感じになったわけですよ。でも、札幌日経オープンの時の返し馬で、まっすぐラチの方に突っ込んで行って、もう止まれねぇという勢いだったんだけど、何もしなかったら勝手に避けたことがあって。気分を損ねないことも大事だと思う。

[西]藤田さんが競馬に乗った時はどうだったの?

[武]すごくアブミ長くして返し馬行ったのは覚えているね。『返し馬だけは油断しないでください』とだけは言ったんだけど、いや間違いなく危ないんだって。2歳のホープフルSの時は、競馬で走っている最中にブレーキかけたんだから。故障かと思ったほどだったんだけど、物見したんだよね。

[西]へぇ。結局、何着だったんですか?

[武]7着。今でも鮮明に覚えているんだけど、正直、怒ったね。3コーナーからガッツリ怒りつけて上がって行きましたよ。

[西]じゃあ、勝ったアルゼンチン共和国杯は上手く乗れたということなんだ。

[武]自分の中では、こういう競馬をしようと思っていたわけですよ。レース前は周囲との話し合いを遮断していたくらい集中していたし、強い気持ちがあったんだろうね。

[西]厩舎スタッフたちとも?

[武]とりあえず、余計なことはしゃべらずに、あくまで俺と馬の一対一で、周りは関係ないという感じで、報道陣にも一切余計なことは話さなかった。

[西]勝ちに行く競馬でしたよね。

[武]あの時は、何かあれば周りの馬たちをなぎ倒してやるぞみたいな感覚を覚えるくらい殺気立っていたかもしれない(笑)。僕の中ではアルコセニョーラも会心のレースだったけど、また違った意味で会心のレースだったと思う。

06年アルゼンチン共和国杯(トウショウナイト・武士沢騎手)
[西]確かに。アルコセニョーラはハマった感もありましたからね。

[武]完全にイメージ通りというか、ピッタリとハマッた。ナイトとはまったく逆のタイプで、切れで勝負するタイプ。でも、変なところは一緒ですけどね(笑)。

[西]こんなことを聞いたら失礼なのかもしれませんが、心の整理が付いたのはいつ頃でしたか?

[武]でも、俺、整理付かないんだわ。今でもポっと思い出す。変な話だし、言い方が難しいんだけど、「頑張れ」と言われているような感覚になることがある。

[西]そうなんだ。

[武]スパッと割り切れないというか、逆に割り切っちゃいけないと俺は思う。

[西]それが背負っていくということなんだろうね。

[武]忘れないね。一流の人たちに聞いたことはないけど、同じような経験をしている人はやっぱり忘れていないと思うんだよね。

[西]読者の方から『長過ぎる』というメールが来るかもしれませんが、トウショウナイトは武士沢さんにとって間違いなく大きな存在だったと思うわけですよ。成長させてもらったというか。

[武]成長させてもらい過ぎたかな(笑)。いや、だってちょうどあの時期は……


ということで対談の第3回はいかがだったでしょうか?

トウショウナイトの話が長いと思われた人もいるかもしれませんが、話を聞きながら、あえて省略せずにお伝えしたいと思ったのです。

でも、ご安心ください。次週では結婚の秘話などもお伝えさせていただく予定にしておりますので。

ということで、『あなたのワンクリックがこのコーナーの存在を決めるのです』。どうか、皆様、今後もよろしくお願いいたします。

最後に、ノビーズライヴ第二弾の告知を上の方の日記、またはニュースのところでさせていただきました。メンバー全員で頑張っておりますので、このコーナー同様、皆様の熱いご声援をよろしくお願いいたします。

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