今週から山嵜獣医との対談がスタートします!
2010.1.21
先週にお話しさせていただいた通り、今週からは山嵜将彦獣医との対談をお送りします。
多少マニアックになってしまうかもしれませんし、分かり難いという部分が出てくるかもしれません。
その時はどうぞメールをいただければと思います。できる限り、山嵜獣医にも追加で話を聞きながら、お答えするように頑張ります。
ですので、あまり引かず、毛嫌いせずに読んでいただければと思います。それでは1回目の対談をどうぞ。
[西塚信人調教助手(以下、西)]今回は、美浦トレーニングセンター内の松永和則診療所に勤務していらっしゃる山嵜将彦獣医師に来ていただきました。よろしくお願いいたします。
[山嵜将彦獣医師(以下、山)]こちらこそよろしくお願いいたします。遅くなってしまいまして、申し訳ありません。
[西]いや、まったく問題ありませんよ。ちなみに、いまの時間は、土曜日の夜8時30分を回ったところなんですが、いつもこのような感じなのですか? それとも、早い方だったりするんでしょうか?
[山]いつもこんな感じですね。遅い時には10時(22時)を過ぎることもありますよ。今日も本当なら、消毒などの後片づけをして日報を書きますから、帰れるのは9時半(21時半)くらいになるはずでした。
[西]えっ、そんなに遅いんですか。ただ、後輩の方もいらっしゃいますよね。
[山]梅本という後輩がいるので、今日はちょっと早く来られました。ひとりの時は全部やっていたので、さらに遅かったですよ。
[西]えっ、そうですか。朝は何時に出勤しているんですか?
[山]いまの時期の平日なら、7時に馬場開場となりますので8時という感じで、開場1時間後ですね。
[西]じゃあ、土日は4時開場ですから…。
[山]それに合わせるように、早くなります。
[西]それで終わるのがこの時間ですか?
[山]そうです。
[西]休憩とかはあるのですか?
[山]その時の状況によりますね。昨日もなかったですし、今日もなかったです。
[西]ご飯は?
[山]ご飯を食べる時間だけですよ。でも、昔はその時間さえありませんでした。
[西]移動しながらですか?
[山]そうです。
[西]いまだと1時前(13時前)くらいには診療がひと段落しますよね。
[山]いちおう、そういう感じです。午後1時からの診療がなかったら、そこで食事をします。ただ、1時過ぎから診療を依頼される厩舎がある時には、もう即行で食事となります(苦笑)。
[西]それで夜10時までですか。いやぁ、忙しいですね。好きじゃないとできないと思いますよ。獣医を目指したのは、やはり馬が好きだったからなのですか?
[山]馬というか、動物が好きだったんです。幼い頃、団地に住んでいたので、犬とか猫とかを飼うことができず、それでも犬とかを飼いたくて飼いたくて仕方がなかったのです。それで、団地でも飼うことができる鳥とか魚を飼って、夢中で世話をしました。ちょうどその当時、ムツゴロウさんのことをテレビで放映していて、『いいなぁ』と漠然と思っていたのです。母親に聞くと、ムツゴロウさんは獣医だと言われて、獣医になれば同じようになれるんだと、子供心にインプットされたのでしょう。ただ、年齢を重ねると、野球に夢中になって、将来のことなどほとんど考えていなかったというのが本当のところです。
[西]そうですか。じゃあ、獣医を本格的に目指すきっかけは、何だったのでしょうか?
[山]高校野球最後となった3年の夏の大会で3回戦で負けてしまい、燃え尽きたのですが、そこで『ここからどうしよう』と思って。そこで、いわゆる大学受験の定番と言われる赤本を見ていた時に、『獣医学部』という文字が目に飛び込んできたんです。『そうだ、獣医だ』ということとなったのです。当時は、B型特有のそれだけしか見えなくなる面が強かったということもあって、いろいろ調べて勉強を始めました。
[西]それで大学に受かって、獣医になられたわけですね。
[山]そうなんですが、高校も進学校ではなく、いまにして思えばナメていて、勉強して受験したところ、まったく歯が立ちませんでした。でも、もう獣医とブリンカーが効いている状況でしたので、浪人という道を選ぶことにしたのです。その後の1年間は本当に勉強しましたよ。1日3時間くらいしか寝ずに、ひたすら勉強という日々を送っていましたからね。あの1年間は、人生でいちばん勉強しました。
[西]へぇ、そうだったんですか。なんか、そういうイメージではないんですよね。もっとすんなり獣医になったのかと思っていました。
[山]自分で言うのもなんですが、浪人の1年間は本当に死に物狂いでした。親にも、「顔色が悪いから少し寝た方が良い」とよく言われたりしました。
[西]そうだったんですね。そう言えば、聞くところによると、師匠である松永先生とは、大学が違うらしいですが、どういう経緯で就職されたのですか?
[山]話をすると長くなってしまうのですが、最初はJRAに就職しようと、入会試験を受けました。ただ、見事に落ちまして、そこで馬の道をあきらめて、小動物へ進もうと方向転換をしたのです。動物病院を回り始めていたところに、「開業獣医さんが勤務医を雇いたいと言っているんだけど、どうですか」というお話をいただいたのです。そのとき、開業獣医という存在について知識がなく、『馬に携われるんだぁ、それなら一度見てみよう』という程度の感覚でした。僕は学校が青森で、ちょうどその時にウチの松永が夏の開催で函館に滞在しているということで、行ったのです。
[西]それで、函館で松永先生に会って、すぐに決まったということですか。
[山]いや、もうひとり、松永にとっては、大学だけでなく馬術部も含めての後輩にあたる人が来ていたのです。その人は馬術部の主将で、やはりJRAを受けて落ちてしまっていたようで、小動物へ行くと断ったようでした。それで僕がお世話になることとなったのです。もし、もうひとりの人が入ると言えば、後輩ということなどからも、僕は馬の世界に入っていなかったと思いますね。
[西]へぇ、ある意味、運命を感じますね。
[山]ただ、いまは馬が大好きですが、学生の時には漠然と大きい動物をやりたいという思いを持っていました。
[西]象とかですか?
[山]そう、そう。大学の時には動物園だけでなく、サファリパークにも研修に行きました。象、キリン、あるいは牛とか豚も含めて、大きい動物に携わりたいと思っていたのです。でも、研修させてもらって勉強していくと、牛とかだと極端な言い方をすると、治療をしないのです。
[西]あっ、殺してしまうんですね。
[山]そうなんです。経済動物ですので、命を絶って、肉にした方がお金になるのです。でも、獣医としてはね…。
[西]助けるという方ですからね。
[山]そう。やはり、そういう気持ちがどうしても強いですからね。それなので、牛は除外することにしました。学生の頃は、馬か、動物園か、サファリパークに進みたいと思っていた、というのが本当のところです。
[西]熱狂的な競馬ファンという感じではなかったのですね。
[山]そうですね。ただ、ツインターボは好きでしたね。とにかくあの逃げが好きで、応援したりしていました。ただ、熱狂的ではなかったです。
[西]それで入ってみたら、この厳しさだったわけですね。
[山]いまも情熱という部分では変わりませんが、僕が入った当時は、師匠もまだ若くて、熱血漢でしたから。
[西]そんなに大変だったですか。
[山]いまになって思えば、師匠の親心だったのだと分かりますが、当時はそうは思えませんでしたね。1年目で言えば、入って8ヶ月間は休みがなかったんですよね。
[西]またぁ(笑)。
[山]本当ですよ(苦笑)。最初はトレセンがそうであるように、月曜日が休みだと聞いていたのです。それが、次から次へと診療が入っていくのです。
[西]近隣の育成牧場とかですね。
[山]まさに、そう。それが8ヶ月続きました。いま以上に働いていたのは間違いありません。でも、そうやって連れ回してもらったお陰で、いろいろな馬を診ることができ、いろいろな経験を積むことができたのですから、感謝しています。ただ、あの時は、正直、つらかった。
[西]その時って分からなかったりしますよね。でも、獣医師の免許を持っているとはいえ、いきなり歩様とかは分からなかったんじゃないですか?
[山]それは分からないですよ。だからこそ、数を診るということが大切で、そういう意味でも師匠の元に師事できたことは僕にとっては幸せなことですし、財産です。
[西]松永先生のところって、相当な頭数を診ていらっしゃいますよね。
[山]美浦の開業獣医師の中では、1、2だと思いますよ。
[西]そこで鍛えられたわけですね。
[山]いまだから笑って話せますが、もう何回も心が折れてしまいそうになりました。もっと言うと、辞めさせてくださいといつ言うべきなのかとさえ考えていましたからね。
[西]相当に大変だったんですね。
今週はここまでとさせていただきます。
以前に話題となった筋肉注射などについては、来週以降に掲載する予定で、徐々にディープさを増していくことになりますので、どうぞお楽しみに。
さて、先週も勝ち、我が尾関厩舎は今年早くも3勝を挙げ、関東3位ということで、2010年を好発進することができています。
何人かの方から、「好調の要因は?」、「何か違うことを始めたのですか?」などとメールをいただいたのですが、特に何かを大きく変えたことはありません。強いて挙げるとすれば、坂路調教がほとんどだったメニューからコースでの調教が増えたということでしょうか。
ただ、調教内容と馬の状態、そして治療という、それぞれのバランスが上手く一致しているからこそ馬が走るというか、大きい要因だろうと思いますよ。タイミングや巡り合わせという部分もありますから、何かひとつということではないですよね。
とにかく、この調子で頑張っていきたいと思いますので、ぜひ応援をよろしくお願いいたします。
ということで、最後はいつも通り、『あなたのワンクリックがこのコーナーの存続を決めるのです。どうかよろしくお願いいたします』。