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速攻レースインプレッション

新たな快足王もまた“恩返し”の結晶だった

文/石田敏徳、写真/川井博


今年の春、藤沢和雄調教師を取材しているときに「馬を大切にすれば、いつか恩返しをしてくれる」という話になった。直接的にはレイデオロの祖母、レディブロンドについての話である。股関節に不安を抱えていたため、なかなかレースに使えなかった同馬だが、体質が丈夫になるのを辛抱強く待った甲斐があり、5歳6月のデビューから5連勝を記録。連闘で挑んだスプリンターズSでも④着に食い込んだ。

その後、再び歩様が悪化して引退が決まったレディブロンドは当初、生まれ故郷のアイルランドに帰って繁殖入りすることになっていた。しかし吉田勝己氏が電撃的に購入のオファーをまとめ、ノーザンファームで繁殖生活をスタート。孫のレイデオロは藤沢調教師ダービートレーナーの称号を贈った。

「私だって使えるものなら早くデビューさせたかった。あの馬の子孫が、やがて自分のところに来てダービーを勝ってくれるなんて、当時は夢にも思っていなかった」

ブラッドスポーツとも呼ばれる競馬の世界では"紡がれていく血"も醍醐味のひとつ。だから自分たち調教師は、預かった馬を最終的には無事に牧場へ帰してあげることを強く意識して、仕事に取り組まなければならない。それを心掛けていればいつか、馬も恩返しをしてくれる──というのが話の大意だった。

スプリンターズSを快勝し、新たな快足王に君臨したタワーオブロンドンの祖母シンコウエルメスは、かつて藤沢調教師が管理した馬である。しかしその話の前に、まずはレースを振り返ろう。

宣言通りに先手を奪ったのはモズスーパーフレア。600mの通過32秒8は相当に速いが、松若風馬騎手は肉を切らせて骨を断つ「自分の競馬」に徹した格好だ。対して「今日は五分にスタートを出てくれた」というタワーオブロンドンC.ルメール騎手は、人気を分け合ったダノンスマッシュを見る形で中団を追走。とはいえ、馬群の内々を捌いて進出を開始した相手を無理には追わず、早めに外へ持ち出して進路を確保し、追撃態勢を整えた。

この「切り替え」が大きなポイントになった。直線に向くとダノンスマッシュに先駆けてスパートにかかり、パワフルな末脚を発揮。逃げ粘るモズスーパーフレアを悠々と呑み込んで勝利のゴールを駆け抜ける。ダノンスマッシュもよく追い上げたものの、③着までが精一杯。春秋スプリントG1制覇に挑んだミスターメロディは、「手前を替えてくれなかったぶん、あとひと押しを欠いて」(福永祐一騎手)④着に終わった。

マイルの重賞(アーリントンC)も勝っているとはいえ、タワーオブロンドンについてルメール騎手は早くから「もう少し短い距離が合う」と感じていたそうで、藤沢調教師にもその感触を伝えていた。5月の京王杯スプリングCをレコードで差し切った後、こうして照準はスプリント路線へ定められたが、"転向初戦"の函館スプリントS(京王杯SCともども、D.レーン騎手が騎乗)は③着。ルメール騎手に手綱が戻ったキーンランドCでも、ダノンスマッシュには完敗を喫した格好で②着に敗れた。それでも、中1週の間隔で札幌から阪神へ乗り込んだセントウルSでは、目を見張るような末脚を繰り出してレコード勝ちを収め、サマースプリントシリーズの王者に輝く。

「札幌の時点では馬に少し硬さを感じていましたが、身体が段々、シェイプアップされ、速い脚が使えるようになってきました。今回(スプリンターズS)も歩様が柔らかくて、いいコンディションでした」

短い間隔での転戦を懸念する声も聞かれた今回のレース前だが、馬の状態はむしろどんどん上昇カーブを描いていたわけだ。

一方の藤沢調教師「平坦なコースしかない札幌では、そんなに強い調教をやっていたわけではないからね」と強行軍の不安説を一笑。「1200mのレースを3回連続で使ったことで、今日は一緒に(離されずに)ついて行けた」こともポイントにあげた。

スプリントへの路線変更については「自分の思うようにやりたいと思っているから、指図されるのは好きじゃない。でも今回は彼(ルメール)の言うことを聞いてよかった。今度はマイルまでもたせるように、よく言っておきます」と独特の表現で周囲の笑いを誘う。そんな共同会見の終わり際、シンコウエルメスの孫でG1を勝ったことの感想を尋ねてみた。すると思いがけない反応が返ってきた。いつもひょうひょうとしているトレーナーが「25年前、あの馬が……」と言葉に詰まり、感極まった表情を見せたのだ。

シンコウエルメス(1993年生まれ、父サドラーズウェルズ、母ドフザダービー)は英国ダービー馬ジェネラスの妹にあたり、近親にはあのトレヴをはじめ、大物がズラリと並ぶ世界的な良血牝馬である。2歳の春にアイルランドから輸入され、藤沢厩舎へ入厩、3歳春にデビュー(⑤着)したが、2戦目に向けた調教中に骨折。競走生命どころか、命そのものを危ぶまれた重症で、獣医には「普通なら安楽死させるケースです」と告げられた。

しかし「何とか繁殖入りさせてあげたい」というトレーナーとオーナーの熱意にほだされて、競走馬診療所の獣医たちは"チーム"を組んで大手術を敢行。奇跡の生還を果たした経緯がある。16年の皐月賞馬ディーマジェスティも同馬の孫。そして今度はタワーオブロンドンが出た。

言葉に詰まったのはほんの一瞬のことで、すぐにいつもの様子を取り戻した藤沢調教師には「(馬と関係者に)感謝しています」とはぐらかされてしまったが、新たな快足王もまた"恩返し"の結晶。今後のローテーションは未定ながら、ダーレーのハリー・スウィニー代表「来年も現役を続けます。海外にも積極的に挑戦していきたいですね」と宣言しており、紡がれた血の足跡はこれからもっともっと、大きなものとなっていくだろう。


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