速攻レースインプレッション
勝負のイン狙い、G1初制覇に見た師弟と人馬の絆
文/鈴木正(スポーツニッポン)
手に汗握る…などという手垢のついた言葉を使うのは記者として少々恥ずかしいが、グッと拳に力がこもった一戦だった。残り100mで先頭に立ったキルロード・菊沢騎手。そこに外から襲いかかったロータスランド・岩田望騎手。内からグッと首を伸ばし、若い2人の騎乗馬を差し切ったのは…。35歳・丸田恭介騎手が駆るナランフレグだった。
近走は4戦連続で上がり3F最速。美浦が誇る切れ者、それがナランフレグだ。ラストの決め手の鋭さは誰もが認めるところ。しかし、重&不良馬場は未経験。先団を占めるであろう馬たちに強豪が多く、最後方近くから差し切るのは相当に難しいと思われた。8番人気はやむなしというところだろう。
しかし、丸田騎手は勝負を賭けた。1枠2番から、直線でイン狙い。勝負に行った。
美浦担当の記者なら声をそろえて、こう言う。好漢・丸田騎手。北海道の大地が育んだ、優しい性格。記者の質問に嫌な顔を見せたことなど、記憶の限りでは1度もない。だが、その優しさが、もうひとつ殻を破れない要因という印象もあった。「いいヤツすぎる」のである。
その優しい男が心を決めて、インへと突っ込んだ。残り200mで狭くなりかける。万事休すか。だが、そこから少しずつ前が空いていった。丸田騎手の右ムチに応え、再び加速するナランフレグ。残り70m付近でついに先頭。トップでゴールを駆け抜け、好漢は右手を握りしめた。
レース後のインタビューでは「阪神でOP特別(タンザナイトS)を勝たせていただいた時もこういう形でこなしてくれていたので、自信を持ってインコースに行きました」と話していた。人馬で経験を重ねてきたことも、この勝利をたぐり寄せた要因のひとつだろう。
丸田騎手は泣いていた。④着トゥラヴェスーラの鮫島駿騎手が称賛の声をかけた。振り向いた丸田騎手の口元は感激でゆがんでいた。お立ち台では涙がこぼれないように上を向いた。久しぶりに見る、グッと来るインタビューだった。「直線で前が空いて、抜けてきた時は本当にうれしかった」。スタンド前で何度も見せたガッツポーズの理由も明かした。「僕自身もうれしかったが、ファンの方が"もっと喜んでいいんだぞ!"と言ってくれて…」。ファンも自分の苦労を知っていてくれた…。その目がまたうるんでいった。
最近はますますパワーを問われる馬場となっている中京芝コース。重馬場となったことで、かなり力のいるコンディションとなっていたようだ。ナランフレグの父は現役時にダート巧者として鳴らし、産駒からもダートのスペシャリストが次々と出たゴールドアリュール。ナランフレグ自身も新馬勝ちはダートだった。③着キルロードも未勝利Vはダートだった。若干の強引さを持って言えば、②着ロータスランドはダート未経験とはいえ、血統構成は米国。父ポイントオブエントリーは芝の強豪だったが、それでもパワー馬場をこなす下地はあったのではないか。「芝ダートの二刀流」の素養を持った馬が、このパワー馬場をこなしたのだといえる。
さらに気付いたことがある。ゴールドアリュールの母ニキーヤが3月24日に29歳で天へと召されたばかりだった。「死んだ種牡馬の子は走る」というのは競馬格言のひとつだが、死んだ祖母を見送るかのように孫が走ってくるとは。血の不思議、驚きのドラマと言うしかない。
美浦の記者にとっては宗像義忠師がG1を制したことも大いなる喜びだ。実直な方。「カラスを見つめて力が抜けた」でおなじみのバランスオブゲーム。距離が延びれば延びるほど強くなるフェイムゲームといった個性派を送り出してきたが、G1タイトルにはあと一歩だった。ついに手にしたG1だ。
丸田騎手は師について「先生にはずっとお世話になりっぱなしで…。何かひとつでもと思っていたので、こういう大きな舞台で恩返しできたと思うと、とても幸せです」と語り、また涙した。ただ、こういう場面でも馬優先なのが宗像師。インタビュアーに、自身の苦労などを聞かれても「いやいや、馬が頑張ってくれたことですから」と答えるのであろう。その絵が浮かぶようだ。
ナランフレグは王者として君臨し続けるというよりも、常に勝利を争う強豪の1頭として存在感を放ち続けるのだと思う。その決め手は常に脅威。馬場が悪化しても怖いという、なかなかの難敵となっていくはずだ。
令和の時代。人と人との関係は以前とは急速に変化している。その中で宗像師と丸田騎手との心のつながりを世の中に示せたことは、非常に良かったと思う。競馬の世界には今も古き良き人間関係が存在していることを改めて世の人々に知ってもらえたのではないか。