西塚助手
【対談・小島勝三助手③】イーグルカフェは“本当のプロ”だった
小島勝三調教助手…以下[小]
西塚信人調教助手…以下[西]
[西]小島太厩舎といえば、イーグルカフェにも乗っていますよね。
[小]もちろんですよ。
[西]勝ったジャパンCダートは凄かったぁ。フランキー・デットーリが乗っていたんですよね。
[小]フランキーはレースのなかで勝負をしてすべてに勝った結果、というようなことを言っていたらしいです。確かに4コーナーで内があそこまで開くなんていうことは、ある意味奇跡ですよ。
[西]でも、あそこを狙っていかないと、あの状況でイーグルカフェが勝つことはできなかったと思うんです。
[小]そうでしょうね。すべてが上手くいった結果だったと思います。運がこちらに向いたときに、その運を何倍にも膨らますことができるジョッキーが乗っていて、レースの中で勝負をしたということなんだと思うんです。
[西]イーグルカフェって、いい馬でしたか?
[小]自分ごときがいい馬だとか言ってはいけないくらい大先輩で、本当のプロでした。普段も、追い切りもよく乗せてもらいましたけど、自分自身がしっかりと乗らなければ、とかいうレベルを超えていたと思うんです。『俺がやるから、お前は黙って乗ってろ』と言われていたような気がするんですよね。
[西]そういうのはある気がします。馬に教えられるところって、本当にありますよね。
[小]ありますよ。イーグルカフェは気が乗っていない時とかも分かりました。今日は機嫌が悪い、とかいう感じがあったりしてね。でも、いざ仕事になるとしっかりとやるんですよ。そういう意味では、自分自身ではマンハッタンカフェよりも深い付き合いだったのがイーグルカフェでしたね。
[西]あと小島厩舎といえば、個人的にはディサイファも印象がありますね。馬的にというか、目をひく馬でしたよね。
[小]しっかりとしていて、いわゆる良い馬だったと思います。ただ、みんなよりも何年も遅れている、という感じでした。実際、活躍したのも古馬になってからでしたけど、ゆっくりと成長していく感じがありました。
[西]ディサイファがまだ1000万下で足踏みしていた当時、よく坂路のタワー下で小島厩舎と一緒になっていたんですけど、牝馬みたいな印象を受けていたんです。怒られてしまいますけど、何かのときに股間を見て"あれ、牡馬だったんだ!"と思ったんですよね。
[小]いや、あの当時はまだまだ良化途上でしたよ。それで時間が経つにつれてしっかりしてきて、そして結果が出始めたんですよね。
[西]あとはミッドサマーフェアですか。
[小]あれはいい馬でした。
[西]オークスで1番人気になっていましたよね。残念がら負けてしまいましたけど(13着)。
[小]いまにして思えば、勝ったのがジェンティルドンナでしたからね。でも、本当に紙一重というタイプだったんですよ。手がつけられないくらい激しい一面を秘めていて、それが出たときにはもう手のつけようがないくらいの感じでした。
[西]そこから結果が出なくなってしまいましたよね。父親は何でしたっけ……?
[小]タニノギムレットです。
[西]ああ、激しい一面を持った産駒が多いと聞きます。それがレースで爆発すると凄い脚を使う感じなんでしょうかね。
[小]ミッドサマーフェアはとにかく乗り味が抜群でした。速いところをやっていると、遅く感じるんですよ。
[西]そういう馬、いますよね。
[小]柔らかくて、跳びが大きいから、スピードを感じなくて。
[西]すると、時計が狂いやすくなってしまうんですよね。
[小]"ヤバイ、速い!"と思うことが多々ありましたよ。
[西]小島先生は時計にうるさかったんですか?
[小]腹の中はどうかわかりませんけど、時計のことで怒られたことはありませんでしたね。
[西]タワー下でよく、『今週使うのに、そんなにやってどうすんだ。勝三』と仰っていたりしましたけど、本気で怒っているような感じではなかったのを覚えています。
[小]我慢していたんじゃないですかね。たぶん。
[西]そうなんですかね?
[小]怒鳴ったりすることはあまりありませんでしたけど、結果が出る前に言われていました。
[西]どういうことですか?
[小]例えばレース前に『たぶん今回は失敗だぞ』と言われて、実際レースに行って、体重が大きく増えたり、あるいは減ったり、あるいは反応がいまひとつだったり、入れ込み気味になってしまったり。そして結果が出て、もう一回言われましたね。ですから、結果だけで怒ったりはしなかったんですよ。
[西]結果論だけでは話をしなかった、ということですか。
[小]結果が出る前に必ず言われましたね。よく競馬場の装鞍所で鞍を置きながら『今回は失敗だぞ』というように言われていました。
[西]いまの時代、なかなかできない経験かもしれませんよ。
[小]意外と、こちらが考えていることをやらせてくれましたし、話も聞いてくれました。
[西]例えば『70の40で終いやれ』というような指示とかはあったんですか?
[小]具体的に数字をあげて指示されたことは一度もありませんでした。
[西]タワー下とかで聞いていると、『勝三、そんなにいらないぞ』とか『ある程度はやれ』というような指示だったように記憶しているんですけど。
[小]まさにそういう感じでした。ビューとかシュッというような、擬音が多かったんですよね(笑)。
[西]まさに長嶋さんのような感じだったんですね(笑)。
[小]当時は、それで結果が出ないときには『もっとハッキリ言ってくれればいいのに』と思ったこともありました。でも、いまになって思うと、そうやって勉強をさせてもらっていたんでしょうね。
[西]いや、それはそういうことでしょうね。極端な言い方をすれば、小島先生が言った時計で乗って負けてしまったならば、責任は先生にあると言えますから。
[小]ハッキリとした指示がない以上、馬から伝わってくる雰囲気をはじめとして、自分の五感を張り巡らせて、考えて、そのときその馬にとって最善の方法を見つけなければなりません。いまになって思うと、本当に良い勉強をさせてもらったと思います。
[西]他のスタッフみんなに対して、そういう感じだったんですか?
[小]そうです。ただ、兄貴(小島良太調教助手)はしっかりと乗ることができたので、よりシビアというか、厳しかったように感じます。
[西]それだけ技術があるからなんでしょうけど、そういう部分があったということだったんでしょうね。
(※次回へ続く)
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