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西塚助手

【対談・松岡騎手③】ウインブライトがいたから、復帰に向けて頑張れた


松岡正海騎手…以下[松]
西塚信人調教助手…以下[西]

[西]最近の話も伺いましょう。20年2月に落馬をされて、長く休養を余儀なくされました。20年10月に一度復帰されて、その時に香港カップウインブライトに騎乗されました。僕自身が聞いていた話をさせていただくと、もし落馬したときには騎手としての復帰が難しくなるだけでなく、命さえ危ないと言われていましたよね。あのときは、それでもいいと思って復帰されたんですか?

[松]もちろんです。信人さんに言っていた言葉のままでした。

[西]“脚が折れても追ってくるぜ"というメールをくれましたよね。あの香港カップが、騎手・松岡正海の最後のレースになるかもしれないとも仰っていました。

[松]そうなるかもしれない、という覚悟はしていました。

[西]だからなのか、見ている側にも気迫が伝わってきましたよ。あのとき、何がそこまで松岡さんを駆り立てていたんですか?

[松]乗るか、死ぬかを天秤にかけて、ここで乗らなければ死ぬまで後悔するだろう、という思いだけですよ。

[西]当時聞いた言葉のまま、ですね。

[松]昔、NBAの選手を特集したドキュメンタリー番組を見ていて、プロに入団して1年目の選手が交通事故で命を落としてしまったんですけど、そのお母さんの『人生は長く生きたかどうかが問題ではなくて、どう生きたかが問題なのよ。彼は人生を全うした』という言葉がずっと頭に残っているんです。香港で走るウインブライトのレースを、病室で見ることはできないと思ったんです。それで、もし落ちて命を落としても、本望だと思いました。



[西]覚えているかなぁ。ケガをしてから、ウインブライトにミナリクが乗った中山記念以外は競馬を見ていなかったんですよね。

[松]覚えていますよ。

[西]そして、あの中山記念は一緒に見ていたんですけど、『今日は厳しいかも』と言っていましたよね(結果は7着)。

[松]追い切りでいままでに出したことがない時計を、しかも追って出していたので、厳しいと思ったんです。そしてパドックを見て確信して、“レースを見なくてもいいくらい"と言ったことを覚えています。

[西]その中山記念以外、ほとんど競馬を見られなかったのは、意図的だったんですか?

[松]昔からここまで競馬、競馬、競馬という生活を送ってきて、固定概念みたいなものもあるはずだと思ったんです。ですから、そういう部分も含めて一度リセットしてもいいんじゃないか、という気持ちはありました。

[西]休養されていた時、世間はコロナ禍でした。その中で僕が一番会った他人は、間違いなく松岡さんだったんですよ。

[松]自分も一番会っていたのは、信人さんです。

[西]ですからよく分かるのですが、20年香港カップまでは復帰に関しても気迫に溢れていましたよね。それより前、20年クイーンエリザベス2世C(※裂蹄で回避)までに治すんだ、とさえ言っていました。

[松]自分自身でも、そういう意識はありましたよ。

[西]そして香港カップが終わって再び入院されて、復帰するまで1年弱。その間は、意識が変わったような感覚を覚えたんですよ。ユーチューバーになろうかな、とか言っていましたし。

[松]ユーチューバーですよ、時代は(笑)。冗談だと思いました?

[西]いや、騎手として復帰できないとしたら、それも選択肢のひとつだと個人的には思います。何をやっていても、どんな立場でも松岡さんは松岡さんなので、それはいいんですけど、ウインブライトの現役時と引退後のテンションが、全く違ったように思えたんです。

[松]ウインブライトがいなかったら、ただの騎手ですよ。あの馬がいたからこそというか、あの馬がいたから頑張れたというのは間違いなくありました。

[西]自分のなかで、復帰に向けての焦りはありましたか?

[松]それはなかったですね。

[西]でも、自分の中で期限みたいなものはあったんじゃないですか?

[松]骨がくっつかなければ復帰はできません。お医者さんが万策尽きて、もうくっつける手段がないと言われれば、辞めるしかないとは思っていました。

[西]でも、よく耐えたと思いますよ。

[松]入院していた頃、原田が迎えに来てくれたんですよ。原田は僕が落ち込んでいるだろうな、と思っていたらしいんですけど、帰りにファミレスに寄って久しぶりに味の濃い食事をして、僕がすごく喜んでいたらしいんです。“競馬も長い期間乗れなくて、他にもいろいろ大変なのに、カルビ冷麺を食べて幸せそうな顔ができるのか、と思いました"と、今でも言われるんです。

[西]なるほどね(笑)。

[松]人生は良いときもあれば悪いときもある、いわゆる山あり谷ありなわけで、だから落ち込んでも仕方がないんだ、と言っておきました(笑)。

[西]でも、辞める、辞めないということになればね。

[松]それは“たいした話"ですけどね。自分自身としては、これしかないと思って騎手になりましたので。

[西]ただ、ある時から復帰の時期に関する話を全くされなくなったんですよ。

[松]あ、そうだった? 別に深い意味はありませんでした。騎手がみんな、騎手人生を全うできるなんてことはあり得ないわけですよ。全うできる、というのもいろいろあって、2000勝しなければそう思わない人もいれば、100勝だったかもしれないけど、自分の騎手人生は幸せだった、と思う人もいますよね。

[西]それは、確かに。

[松]ただ、自分で“もう辞めよう"と思う時ではなく、辞めなければならない状況になってしまうかもしれない、ということは考えました。

[西]ウインブライト香港カップ2着がラストライドになるかも、ということも言っていましたよね。

[松]それはそれでいい、とは思いましたよ。なんだか、上質の小説みたいじゃないか、とも思いますし。

(※次回へ続く)

※対談は21年12月9日。感染対策に配慮して行っています。

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