西塚助手
厳しい馴致や調教も、明確な目的があって行っているんです
先日、ある祭りで撮られた映像について、そこに映っていた馬に対して人々が行っていたことが"虐待ではないか"と言われ、批判を集めているそうです。
僕もその映像を見ましたが、馬が暴れても後ろから叩き続けるシーンがあって、それが虐待ではないか、とのことのようです。
この映像に映っている人たちに、実際にどんな意図があったかは分かりません。しかし正直なところ、僕がこの映像を見た時には、何らかの意図があるようにも見えたんですよ。
僕が思い浮かべた"意図"とは、以下の3つです。
まずひとつは、その馬は叩かれ続けて尻っ跳ねをするんですけど、街中で尻っ跳ねをしたら怪我人が出てしまう危険性がある。だから、その前にバテさせることを狙っているんじゃないかと。
もうひとつは、後ろを触られることを嫌がって暴れる馬もいますので、敢えて慣れさせるため。
最後に、お祭りですから、イレ込ませて気合いが乗った状態にすることによって迫力を出そうとした。
そんな意図があったとしても、それが"虐待"とみなされる可能性はありますが、あの映像で行っていたことに意味があるとしたら、こんな感じでしょうか。重ねて言いますが、実際はどうだったのかは分かりませんが。
競走馬も、人間の指示通りに動くようにするために"馴致"という調教が最初に行われます。
しかし、馴致の時だけでなく、トレセンにいる馬であっても、すべての馬が従順に人間の指示を受け入れることができるわけではありません。
そういう時の対処法はいろいろありますが、時にはムチで叩くことで理解させることもあります。これは日本だけではなく、動物虐待に敏感なヨーロッパでも同じ、もしくはもっと厳しくて、馴致のときに反抗し続ける馬に対して、1対1の状況でムチを連打することで教え込むこともあるそうです。
また、ゲートに対して反抗心を見せ続ける馬に対して、ロープで縛ることがあります。これは日本独特のスタイルのようですが、こうすることによって立ったり暴れたりしていた馬であっても、我慢できる時間が延びていくんです。
そして、ゲートの中で長い時間が過ぎたところで、最終的に後ろのドアを叩いたり、後脚に砂をかけたりします。これも"ここで暴れても何もできないんだよ、我慢ないといけない"ということを強く理解させるためなんです。
皆さんも、レースでゲートに入らない馬に対して長いムチで促すところを見たことがあると思います。トレセンでも、ゲートやコースに入っていかない馬に対して砂を投げて促したり、長ムチで叩いたりします。
これらは、見ようによっては"虐待"と取られるかもしれません。でも、きちんとした目的があって行っていることです。
ただ、いくら馴致や調教という目的があったとしても、何でもしていいわけではありません。僕たちの中にも線引きはあります。
それは、馬の顔を叩いてはいけない、ということ。感情的になって馬の顔や頭を叩いてはいけないんです。そうなると馴致ではなくなってしまいます。
お祭りの馬は安全に人間を楽しませるために、そして僕たちが接している競走馬は全能力を発揮して勝つために、それぞれ人間が馴致なり、調教をしているわけです。
僕自身、犬や他の動物の厳しい馴致を見たことがありますが、動物と人が共存するためにはルールがあり、そのルールを理解してもらうために、馴致を行わなければなりません。
そのときに、力を使って教えなければならないときはどうしてもあります。しかし、そこには"どうにか理解してもらいたい""分かり合いたい"という思いがなければいけないと思うんですよね。
もちろん、なかなか理解してもらえないこともあります。しかし、そんな時でも自分の感情に負けてしまってはいけないと、いつも意識しています。
いずれにしても、馬に携わる人間として、僕自身も今回の映像を見ていろいろと考えさせられました。
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