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西塚助手

【対談・松田幸吉氏①】今回のゲストは藤沢和厩舎で数々の名馬に携わった、松田幸吉さんです!


松田幸吉元調教助手…以下[松]
西塚信人調教助手…以下[西]

[西]今回は藤沢和雄厩舎の助手として数々の名馬に携わってきた経験を持つ大先輩、松田幸吉さんをゲストにお迎えし、対談をお送りしたいと思います。よろしくお願いします。

[松]こちらこそ、よろしくお願いします。



[西]いやぁ、大先輩なので緊張します。

[松]何を言っているんですか(笑)。

[西]以前から、ぜひお越しいただきたいと思っていて、機会があればお願いをしようと思っていたんです。でも、最近トレセンでお見かけしないと思っていたら、先月でお辞めになったと知ったんですよ。

[松]10月16日で辞めたんですよ。

[西]僕が言うのは失礼ですけど、高い技術を持っていらっしゃる方ですし、まだまだ現役で頑張れると思うんですよ。

[松]“お前、もう乗らなくていいよ"と言われるようになって辞めるよりは、“まだやれるんじゃないの?"と言われるうちに辞めた方がいいのかな、と思ったんです。

[西]惜しむ暇もなくて、“辞めちゃったんですか!?"という感じだと思います。ウチの親父(※西塚安夫元調教師)が開業した頃は藤沢厩舎の隣で、先生の息子さんの和之が僕の同級生でしたから、毎日のように遊びに行っていました。そこで、松田さんたちが馬に乗っている姿をよく見ていましたよ。そういえば当時、藤沢先生が異様なほどに大きな家庭菜園をやられていましたよね?

[松]そうでしたね(笑)。

[西]あの当時、子供だった私が大人になりまして、こうして松田さんとお話ができるようになったわけです。そう考えると、本当に緊張します。松田さんは藤沢厩舎の開業から所属されていたとお聞きしましたが、いつまで所属されていたんですか?

[松]ゼンノロブロイがイギリス遠征に行った年(※2005年)の、4月まででした。

[西]それまで藤沢厩舎にいた名馬には、松田さんが携わってきたということで、1頭1頭の話をお聞きしようとすると、とても1日では終わらなくなってしまいます(笑)。最初にお聞きしたいのは、ブッチャけ藤沢厩舎で働いていて、大変でしたか?ということなんです。

[松]仕事の時間も長かったですし、内容も大変で、家庭をかえりみる余裕があまりありませんでした。でも、仕事は本当に楽しかったですよ。

[西]仕事時間は、やはり長かったですか。

[松]それまでの厩舎の感覚とは、明らかに違いました。藤沢先生も言っていましたけど、運動時間もそれまで20分程度だったものを1時間やる、という感じで。

[西]それが今になってみると、前運動を1時間というのは、どこの厩舎でも基本になっていますよね。あとは縦列で運動をするというのも、藤沢厩舎独特ではなかったですか?

[松]そうでしたね。現在だと、堀厩舎が同じようになっていますよね。私自身も1年堀厩舎に所属していたんですけど、縦列で運動することを徹底しています。

[西]言われてみるとそうですね。藤沢厩舎が出てくる前と後では、いろいろな部分で厩舎運営そのものが大きく変わった。これは間違いないんでしょうね。

[松]藤沢厩舎の前に所属していた厩舎では、調教開始1時間前に起きて、スタンドに行けばいい、というようなスケジュールが普通でした。

[西]今で言うと7時が調教開始なので、6時45分くらいにスタンドに行けばいい、という感じですかね。

[松]そうですね。それで午後運動があって、1時から3時までは仕事なんですけど、助手は1頭につき30分くらい運動して終わりでした。そして、夏は午後運動なし。

[西]あ、そういう時代だったんですね。

[松]その当時は、夏の朝に仕事が終わったら、鹿島まで行って海で遊んでいました。それで帰ってきて、夕方の飼い葉が付いているのを確認して終わり、みたいな感じでした。

[西]僕がこの世界に入った当時は、まだ少しだけそういう厩舎が残っていました。最後の名残でしたけど。それを変えたのが藤沢先生、ということになりますかね。

[松]藤沢厩舎では、調教開始の2時間前には厩舎に行って、助手たちも脚元をチェック。当時は助手が2人しかいなかったので、終わる時間も他の厩舎よりも遅く、最後まで働いていましたよ。

[西]改めてお聞きすると、凄い変化ですよね。

[松]藤沢先生は、人を動かすのがとても上手ですよ。スタッフがよく働くように仕向ける、というのでしょうか。そういう感じに人を持っていくのが、上手かったと思います。

[西]騎手に対しては、どうだったんですか?

[松]自分自身、海外でアマチュアレースに乗った経験がある方なので、常に競馬を想定して、自分で乗っているイメージで見ている、と言っていました。そういう部分も含めて、それまでの調教師さんとは違っていたと思います。

[西]そんな中でも一番大変だったのが、松田さんだったと思うんですけど。

[松]一番かどうかはわかりませんけど、仕事はあの頃が一番楽しかったですよ。

[西]それは本当に素敵なことだと、僕は思うんです。時間が短いから楽でいい、というわけでもなくて、大変だけど仕事が楽しいということは、それだけ夢中になれているということじゃないですか。目の前の仕事に没頭できているわけですから。

[松]そうですね。台風のときなどは、3時間前に厩舎に行って馬場を見て、先生に状況を報告したりもしました。でも、大変だと思ったことはなかったですよね。

[西]うらやましいと思います。外から見ていても、おふたりの関係というのは、藤沢先生を松田さんが陰になってフォローしている、という印象を受けました。よく耳にしたのが、松田さんには休みがあまりなかった、ということです。

[松]全休日も厩舎には行っていました。ゴルフに行く前に、朝早く厩舎に行って様子を見てから出かける、という感じでした。

[西]凄いことですよ。そうやって松田さんが頑張るように、と藤沢先生が動かしていたんですかね。

[松]本当に凄い先生だと思います。

[西]それでも、藤沢厩舎を離れたことに関しては、いろいろな噂が飛び交いました。

[松]お世話になりましたし、良い思いもさせてもらいましたけど、自分から辞めさせていただいたんです。

[西]こういう言い方をしたら失礼かもしれませんけど、普通の厩舎の調教助手とは違った大変さがあったんだろう、と想像します。気持ちの部分とかで、何か変化があったんでしょうか。

[松]最初に声をかけてもらってから、ずっと兄貴だと思って、一緒に頑張りましたよ。お世話にもなりましたし、良い思いもさせてもらって、いまでもその頃が一番楽しかったと思えるのは、先生のお陰だと思いますし、感謝もしています。ただ、自分たちばかりでなく、先生も変わっていったのかなぁ。そういう感覚はありましたよね。だから、ここで離れようという気持ちになったんだと思います。

[西]外から見ていても、松田さんたちが頑張っていらした時の藤沢厩舎と、いまでは違う印象を受けます。どちらが良いか、悪いかとかではないんですけど、イメージ的なもので。松田さんたちの頃は、チーム感というか、連帯感の強さみたいなものを感じました。

[松]どうなんですかね? 中にいると、よくわからないものなんですよ。

[西]藤沢先生もあと少しで定年ですし、開業した当時のままではないのが当たり前なんだと思います。でも、あの頃の藤沢厩舎といえば、失礼な言い方かもしれませんけど、憎たらしいくらい強いと思いました。取りこぼしも少なくて、とにかくよく勝ちましたよね。

[松]東京の特別を全部勝ったこともありましたし、確かにどこでも負けるつもりはない、という感じだったかもしれません。

[西]藤沢厩舎も含め、今の強い厩舎とは違った強さがあったように感じるんですよね。

(※次回へ続く)

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