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西塚助手

【対談・松田幸吉氏②】“馬なり”は“追わない”というわけではない


松田幸吉元調教助手…以下[松]
西塚信人調教助手…以下[西]

[西]松田さんは"藤沢厩舎の番頭"という表現をされるような立場で、中間管理職的な存在だったと思うんです。先生とスタッフの方々との間に挟まれて、大変だったことなどはありましたか?

[松]開業してからはなかったですよ。みんなが先生についていきました。例えば、いまではダメでしょうけど、先生に言われることなく、夕方4時半に飼い葉を付けて、そこからマイクロを替えるなど、馬のケアをしていたこともあったんですよ。

[西]ここは、読者の皆さんに説明させていただきましょう。一般的には夕方4時半という時間は、みんなが仕事を終えて、帰る時間なんです。

[松]飼い葉を食べているときにケアをする事で、馬も大人しくしているし、効果的にケアをすることができるわけですよ。いまの時代だとなかなかできないのかもしれませんけど、そういう感じでした。

[西]なるほどなぁ。一応誤解がないようにしておきますと、いまは規則が厳格化されたので、なかなかそういう感じのことはできないと思います。そして、藤沢厩舎は開業から数年でトップに駆け上がったわけですが、松田さんから見て、その強さの秘訣はどこにあったと思いますか?

[松]開業当初は、一流の血統馬が多かったわけではありませんでしたし、そう言われると、どうなんでしょうね。うーん……飼い葉をたくさん食べさせて、先生がよく馬を観察していて、自分たちも脚元をよく見て、ケアもよくした結果なんじゃないかと思います。



[西]それだけ、馬の状態を見極めていた、ということなんですかね?

[松]それは間違いないです。開業当初から、少しでも歩様が悪かったり、状態が悪い馬は出走させませんでしたし、そもそも厩舎にいませんでした。馬の状態が良いときに、良い調教とできる限りのケアをして、適性のあるレースに出走させていた、という結果かもしれません。

[西]これは、当たり前のことのように聞こえるかもしれません。でも、それを完璧にやるのは本当に難しいことですよ。

[松]確かに、簡単なことではないですよね。

[西]よく、昔の藤沢厩舎の馬というのは"肉食獣みたいな雰囲気があった"という話を聞きますね。

[松]確かにハリがあって、勢いみたいなものはあったように思います。それは自分が思うに、いい状態のときに、たくさん食べさせて、調教をするからなんじゃないですかね。改めて振り返っても、状態の悪い馬は厩舎にいませんでしたから。

[西]常勝軍団だった藤沢厩舎ですから、数々の名馬がいました。そのなかで僕がまず最初に思い浮かべるのが、ガルダンなんですよ。先ほど話に出た、僕の同級生の藤沢が、"ガルダンガルダン"と連呼していたのを、よく覚えています。何なのか聞いたら、"地方から移籍してきたんだ"と言っていたんです。

[松]藤沢厩舎の初勝利を挙げてくれたんですよね。谷川岳S(※1988年4月24日)でした。

[西]90年代前半だとレガシーオブゼルダセンショウダッシュ、あとはホッカイファイヤーもよく覚えています。あとはトロットスターのお母さんもいましたよね。

[松]カルメンシータですね。札幌で900万(※現2勝クラス)を勝ったんです。

[西]よく覚えていますね。

[松]忘れてしまっている馬たちも、正直いますよ。

[西]ビーチハウスという馬もいました。

[松]札幌記念を1番人気で負けてしまったんです(※91年、15着)。岡部さんが乗って調教で59秒くらい出してしまって、先生が『やり過ぎじゃないか?』と言っていたことを覚えています。

[西]先生は時計に関して、怒ったりされないんですか?

[松]岡部さんには言わなかったですけど、自分たちは言われましたね。いまではやらないですけど、当時はウッドで64とか65とかが主流でしたから。オープン馬だと馬なりで動けましたけど、レースの1週前に64とかを出すと、『おい、幸吉。来週は62出すのか?』と怒られましたよ。

[西]松田さんでも、そういうことがあったんですか。

[松]たくさん(笑)。怒られ役でもあったかなぁ。自分が怒られると、みんなが締まるという感覚もありました。

[西]一生懸命働いている松田さんが怒られれば、それはみんな『あっ、頑張らなきゃ』と思いますよね。

[松]そう考えると、やはり先生は人を動かすことが上手なんでしょうね。

[西]逆に藤沢先生は、松田さんなどのスタッフの言葉は聞いてくれましたか?

[松]聞いてくれましたよ。例えば、追い切りで『ちょっとおかしいです』と言えば、もちろん理解してくれましたよね。

[西]藤沢厩舎といえば、追い切りのスタイルですよ。5ハロンという短い追い切りで、しかも馬なり。いまの美浦トレセンで行われている調教の、原型といえるスタイルを確立したと言われています。

[松]5ハロンは確かにそうなんですけどね。馬なりについては、よく"追わない"と言われましたけど、そうではないんですよ。いい馬同士だから、追わなくても併せることで自然とトップスピードにシフトしていくんです。そこは、みなさん分かりませんでしたね。

[西]あっ、なるほど。レベルの高い馬同士で併せ馬をやれば、追わなくてもスピードが出ますよね。

[松]そして、同じ週に出走する馬同士ではやらないんですよ。次週に使う馬に当該週の馬を追いかけさせて、待って併せる、というスタイルでやっていました。もちろん、能力がある馬同士だから、そういうことが可能だったりするんです。見た目は軽いように見えるかもしれませんけど、決してそうではありませんでした。

[西]それまでと違うやり方で調教することで、最初は不安を感じたりしませんでしたか?

[松]開業当時は自分が28歳で、先生が確か36歳だったはずです。若かっただけに不安なんてなくて、とにかく結果が出ると信じていましたよ。

[西]当時の5ハロンが、いまは半マイルという厩舎まで登場しました。それも藤沢厩舎の存在があったから、このスタイルが出てきたように思います。それと、これは僕自身が感じていることなんですけど、藤沢厩舎は普通キャンターが速くないですか?



[松]速いですね。

[西]"あれ、まだ火曜日ですよ?"と思ってしまうくらい、速く感じます。

[松]曜日は関係ないかなぁ。自分がいた頃は16が基準でした。坂路もできた当初は3ハロンでしたので、"52秒とかでやっていこう"という話をしていたんですけど、結局もっと速く、48が一番いいということになったんです。

[西]その16秒の3ハロンで48というのは、どんなところから一番いい、ということになったんですか?

[松]馬の感じでしょう。無理に抑えてしまうよりは、馬の行く気に任せて。身体も動くし、ちょうどいい感じなんですよね。

[西]例えば18-18で乗るように、という指示があったとします。それを忠実に守ろうとして、何が何でもこちらの指示を馬にきかせようとすると、馬がグチャグチャになってしまうんです。

[松]そうなりますよね。力づくで抑え込もうとしますから、馬にとっては逆に負担になってしまいます。

[西]藤沢厩舎の攻め馬を見ていると、馬がグチャグチャになっているシーンをほとんど見かけません。それは、馬の良いところで乗っているから、というのもあると思うんです。馬が良いと感じるところで乗れれば、人間も良いところで乗っている、ということになりますよね。

[松]もちろん引っ張ることはありますけど、馬の良いところで乗るというのは、大切だと思います。

[西]当時、他の厩舎を圧倒していた藤沢厩舎、そしてそこで頑張っていた松田さんの言葉だからこそ、説得力がありますよね。

(※次回へ続く)

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