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西塚助手

【対談・松田幸吉氏③】シンボリクリスエス、ゼンノロブロイは他馬とは違う凄みがあった


松田幸吉元調教助手…以下[松]
西塚信人調教助手…以下[西]

[西]改めて数字を見て思うのですが、当時の藤沢厩舎は本当に強かったですよね。

[松]本当に強かったと思います。20馬房で68勝(※2001年)を挙げることもできましたからね。いまは最高で30馬房の厩舎もありますから、そう考えても凄かったと思います。

[西]いやぁ、その言葉は重いですね。馬房が少なかった中で、68勝というのは驚異的です。でも、そんな藤沢厩舎がやってきたことを他の厩舎も真似することで、厩舎間の差がなくなってきている、ということはあると思いませんか?

[松]そういう部分もあるとは思います。多くの厩舎が、同じようにやるようになりました。それが関西にも伝わって、角居先生などが登場しました。

[西]松田さんから見ても、角居厩舎というのは凄さみたいなものを感じるんですか?

[松]角居厩舎と、あと、中内田厩舎は凄いと思いますよ。

[西]具体的には、どのあたりが凄いと感じる部分なんですか?

[松]しっかりと追うことができています。コース追いは平坦ということもあるので、時計も速いかもしれませんが、それだけでなく終いもしっかりと追っていますから。中内田調教師と直接話をしたことはありませんが、あの調教内容を見たら、凄いと思いますよ。それだけやって、さらに結果を出すんですから、それだけアフターケアもしっかりしているということなんだろう、とイメージできます。

[西]藤沢厩舎も開業当初から、それくらいしっかりと追っていたということですよね。

[松]馬なりではありましたけど、64秒とかが当たり前でしたよ。

[西]それって、相当速いですよね。いまは70-40が主流とされていますから、相当な差ですよ。

[松]でも、それが当たり前でした。馬自身の強さも当然ありますけど、それに耐えた馬は強くなりますよね。

[西]確かに、それはそうですよね。ただでさえ、素質のある馬が揃っていて、その馬たちが強い調教に耐えることができたときには、それは強くなるのが自然でしょう。そうやって強くなった数々の名馬について、これまでもたくさん聞かれてきたこととは思いますが、松田さんにとって一番印象に残っている馬は、どの馬ですか?

[松]どうですかね。難しいなぁ……。

[西]例えば、デビュー前の印象が特に強かったとか。

[松]うーん。タイキシャトルというのは、何でもできたんですよ。初めて追い切ったのに、この馬に付いていった。じゃあ次はこの馬に、そしてさらにこの馬にも、というように、厳しいんじゃないかと思うことを難なくクリアしていきました。こういう馬がいるんだなぁ、と思ったことを覚えています。



[西]当時からいい馬が揃っていた藤沢厩舎で、それは凄いことですよね。

[松]初めての追い切りから65で付いていって、平然としていましたからね。あ、この馬凄い、とまでは思いませんでしたけど、楽しみだとは思いました。

[西]攻め馬で動いた馬が必ずしもトップホースになるとは限りませんけど、初めての追い切りで65を付いていける馬は、なかなかいないんじゃないですか?

[松]追い切りで動いたといえば、マグナーテンも動きましたよ。それがデビュー戦の福島で、1番人気で飛んでしまったんです(※6着)。あれっ?とは思いましたけど、結局は走ってきましたよね(※後に重賞4勝)

[西]マグナーテンは4歳でセン馬になって、それから盛岡で初勝利を挙げました。何かあったんですか?

[松]攻め馬でも引っ掛かって、どうしようもなかったんです。持っていかれました。

[西]松田さんでも? それほど凄かったんですか。

[松]初勝利は岡部さんだったんですけど、その前は確か芳之(※青木元騎手)が乗っていて、『岡部さんの乗り方を見ておけ』と藤沢先生が言っていたことを覚えています。あの馬は凄かった。俺の腰をダメにしたんですから。

[西]あ、腰はマグナーテンにやられたんですね。引っ掛かるといえば、タイキブリザードも頭が低い、独特のフォームで走っていましたね。

[松]あの馬も引っ掛かっていましたし、何を考えているかわからないところもあったように思います。

[西]ファンの方々は、タイキブリザードまでではないにしても、頭が高い馬よりは、頭を下げて走る馬の方が手応えあるように見えますし、格好良く見えるかもしれません。でも、あのように下にハミをさらっていくのは、良くないと思うんですけど。

[松]良くないんじゃないですか? 先生から聞いた話ですと、タイキブリザードはアイルランドでの調教で縦列から外れてしまっていたそうです。

[西]それだけやんちゃだったんですね。タイキブリザードの前には、シンコウラブリイもいましたね。

[松]初めて重賞を勝つことができました(※92年ニュージーランドT4歳S)。自分自身、先生と一緒に初めて牧場に行ったときに乗った1頭が、シンコウラブリイでした。

[西]走ると思いましたか?

[松]どのくらいかはわかりませんでしたけど、走りそうな雰囲気はありました。

[西]初のG1制覇となったマイルCSが雨の日だったというのが、凄く印象に残っています(※93年、不良馬場)。印象に残っているといえば、バブルガムフェローも忘れてはいけません。3連勝で制した朝日杯3歳Sまで、怪物かと思うほど強かったですよね。

[松]その時代、時代によっても違いが出てくるし、馬たちも進化しているから、何とも言えませんが、フットワークが良くて、その当時は強いと思いましたよ。ただ、その後に出会ったシンボリクリスエスゼンノロブロイは、また違った強さがあったんですよ。

[西]クリスエスロブロイは、やはり凄かったんですね。

[松]バブルも凄かったですよ。ただ、クリスエスロブロイはその後に出会って、ちょっと違う感覚を覚えました。

[西]クリスエスロブロイは年代的にも近いんですけど、どちらの方が印象に残っていますか?

[松]ロブロイは距離が延びていいんじゃないか、という印象でした。それに対してクリスエスは万能な印象がありましたよね。

[西]クリスエスというのは、それほど凄かったんですか。



[松]でも、最初の頃はトモが甘かったりして、全体的に弱かったんです。新馬戦を勝った後は特に、トモが良くなかったことを覚えています。先生も『良くないときにはやめよう』と言っていたくらいで、自分も追い切りに乗りましたけど、あまり良い印象がありませんでした。その後、放牧に出して、戻ってきてからも出遅れたりして、あまり良くなっていなかったはずです。それでも山吹賞を勝ったんですよ。

[西]その後、青葉賞を勝ってダービーに行くんですけど、どのあたりで変化していったんですか?

[松]山吹賞を勝ったあたりからですね。グングンと急カーブを描くように、良くなっていきました。

[西]何か要因はあったんですか?

[松]どうだろうね? 特別、何かを変えたというわけではなかったですよ。まあ、担当厩務員さんも本当に懸命にケアしていましたし、馬自身、成長力を持っていたんでしょう。青葉賞を勝ったときには、本当に良くなっていて、何の不安もありませんでした。

[西]もちろん携わる人間の側も大事ですけど、馬自身が持っている資質もあるんですかね。

[松]それはもちろんでしょう。厳しい言い方をすれば、能力がない馬をどのように、どれだけやっても無理なものは無理だと思います。逆に、あそこで急上昇することができたのは、クリスエスが能力を持っていたからこそです。いろいろな状況やタイミングが合ったのもあったのでしょうけど、良くなるだけの能力がなければダメだったはずで、その部分は大きいと思います。タイキシャトルも、本当にそう思いますよ。彼自身の能力が高かったからこそ、あれだけのパフォーマンスを演じることができた。とにかく、常に涼しい顔をして、厳しいことをクリアしていたイメージしかありません。

(※次回へ続く)

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