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西塚助手

【対談・松田幸吉氏④(終)】藤沢厩舎の“強さ”を支えていたものとは


松田幸吉元調教助手…以下[松]
西塚信人調教助手…以下[西]

[西]シンコウキングについても聞きたかったんですよ。とにかくやんちゃでヤバかったと聞いたんですけど、実際はどうだったんですか?

[松]あの馬は危なかった。歩様が悪くて、それを先生に伝えると、“見に行くから北馬場の角馬場でダクを踏ませろ"ということになったんです。そこで、いきなり“おい、幸吉、いくぞ"と、大きい音を出したんですよ。それで馬が驚いて走り出して、首に乗って、落ちそうになったんですけど、先生は“跳ねる元気があるから、大丈夫だ"って。あの当時は自分も若かったから乗っていられたんだと思いますけど、いまなら考えられませんよね(苦笑)。振り返れば面白かった、となるのかもしれませんけど。

[西](笑)。凄いですね。

[松]いまにして思えば、“お前ならできる"という言葉にやらされていましたね。いい言葉ですけど、本当に上手く動かされていました(笑)。

[西]素晴らしい人心掌握術ですよね。

[松]そこは本当に凄いところだと思います。だから、あれだけの成績を残せているんだろうと思います。

[西]もちろん、松田さんたちも働いたわけですよね。

[松]本当に、全員がよく働きました。俺たち助手も働きましたけど、厩務員さんたちも本当によく働きました。改めて、それは思います。

[西]いまは、なかなかそうできないところもあるんですよね。

[松]時代といえば時代なんだろうし、本当はダメなことなのかもしれないけど、やりたい人間は時間などを気にせず働くことがあってもいいんじゃないか、と個人的には思います。この仕事をしていると、馬のことが気になって当然だったりしますからね。全休日でも朝、反射的に気になって厩舎に行きたくなることが、ある意味自然じゃないかと思います。

[西]いまの時代は、それが許されなかったりしますからね。労働時間、有給の消化とか、何かとそういうことを言われます。ところで、仕事を辞められたいまでも、鍛えられていらっしゃるんですか?

[松]全く同じように鍛えています。火曜日にはエアロビをやって、水曜日はテラピスをやって、土曜日、日曜日はバイクに乗って、心拍数を上げるように運動しています。

[西]馬に乗ったり、またトレセンで働く気持ちはあったりするんですか?

[松]ないと言いましたけど、ありますよ。ただ、誘いもありませんし、乗るからには良い馬に乗ってみたい、という気持ちもあります。

[西]もし、藤沢先生から誘われたら、行きますか?

[松]先生だったら、行くかもしれませんね。誘われないとは思いますけど(笑)。

[西]ただ、いまのトレセンの環境というのは、松田さんにとって魅力的に感じなかったりするんでしょうか。

[松]恵まれた環境だということはわかりますよ。でも、制度も変化しましたし、求められることも変わったとも思います。

[西]藤沢厩舎は近年になってレイデオロダービーを勝ちましたし、いまでもたくさんの名馬がいて、勝ち星も多く挙げられている。でも、90年代から2000年代前半にかけて感じさせた絶対的な強さは、別格だったように感じるんです。

[松]自分自身、藤沢厩舎を離れて15年が過ぎましたけど、変わったということは感じます。時代の流れとかもあるのでしょうし、自分の勝手な言い分ですけど、先生だけには変わってほしくないという思いがあります。追い切りにしても、変わらないことが良いことではないけど、変えてはいけない部分もあると思うんです。

[西]いやぁ、涙が出てきそうです。

[松]角居先生は、開業前に藤沢厩舎に研修に来ていて、一緒に仕事をしました。その角居先生は変えていませんから。

[西]月並みですけど、良い仕事をされてきたことを思い知らされるというか、プロだなぁと思います。ただ、自分としては確かに角居厩舎というのも凄い厩舎ですし、プロフェッショナルなんだろうと想像するんですけど、あの当時の藤沢厩舎が持っていた“絶対的"な印象は、やはり独特だったように思います。

[松]中にいるとよくわからないものですよ。これは話が違ってしまうのかもしれないけど、当時働いていたベテランの厩務員さんに、『岡部さんと松田が乗って追い切った翌日は、馬が違っていて、怖いんだよ』と言われたことがありました。それだけ負荷が掛かっていて、ストレスが溜まって、それがレースでの闘争心に繋がっていたのかもしれない、と思ったことがありました。自分としては先生に言われた通りに乗っていただけなんですけど、結果としてそれが正しかった、ということでしょう。

[西]なかなかいまの時代はいろいろあって、その当時と同じようにできないのでしょうけど、当時はそれで結果が出ていたわけです。進歩しなければダメな部分もあるけど、変えてはダメな部分もあるんでしょうね。そういう意味では、松田さんは藤沢厩舎の調教助手を辞めた後、小島太先生のところで持ち乗り厩務員をされていましたよね。そういう部分の違いというのはありますか?

[松]助手から持ち乗りというのは、意外と難しいかもしれません。これは個人的な感触なんですけど、運動から乗って、追い切りに乗って、そして世話までするというのは、自分自身としては良くないかなぁ、と思いましたね。

[西]話は少し違うかもしれませんけど、厩務員さんや持ち乗りが乗ると運動では大人しいのに、攻め専が乗ると元気が良くなるということがあります。そこには、違いがあるのかもしれません。

[松]生まれてからここまで、自分自身で馬乗りが上手いなんて思ったことはありません。ただ、運動に乗ってしまうと、追い切りでのイメージが強すぎてしまうのか、馬への要求というか、アプローチが厳しくなってしまうような感覚を覚えました。

[西]なるほど。

[松]藤沢厩舎で味わったイメージで、馬に対して接してしまうこともあるんでしょうけど、運動から跨がってしまうのは、難しい部分があると思いました。あと、藤沢厩舎時代に、腕利きの厩務員さんの担当馬に跨がったときに、出掛けに『これ跛行してるぞ』と言うと『分からない』と言われたんです。厩務員さんは、そのくらいの感覚で逆にいいのかもしれません。

[西]確かに、持ち乗りというのは、厩務員さんと助手を両方担うわけで、そこの難しさというのがあると思います。

[松]その人のケアは凄いし、たくさん勝ち星を挙げていましたし、G1もたくさん勝っていました。それでも、そんな感覚なんですよ。

[西]その方は、乗り運動もするんですよね?

[松]もちろんしていました。馬というのはそんなものなのかもしれませんけど、厩務員と助手では感覚的な違いはあると思います。そういう意味では、当時の藤沢先生は、持ち乗りに速いところは絶対に乗せませんでしたよね。そういう部分も考えていたのかなぁ、と思うんです。

[西]いやぁ、長い時間ありがとうございました。でも、こうして松田さんのお話を伺って感じたことのひとつに、たくさんの、しかも誰もができるわけではない経験をされているのに、“こう思う"という発言をあまりされない、ということなんです。

[松]あくまで馬によるし、状況にもよりますからね。もちろん、やめた方がいいと思ったことがあれば、調教師さんに対してそう言います。あとは、向こうの判断ですから。それは藤沢先生はもちろん、その後に所属した先生たちにも、同じように伝えてきましたよ。

[西]それを聞くかどうかは、調教師さんそれぞれの判断ですからね。そうやって他に行ってみて、改めて藤沢厩舎にいた頃を振り返ってみると、いかがですか?

[松]どうなんだろう。強いて挙げれば、藤沢厩舎の仕事量は圧倒的に多かったということだと思いますよ。自分なんかは下手に乗ってしまうこともあったけど、厩務員さんたちのケアといったら、それは本当に凄かった。いくら遅くなろうが、時間がかかろうが、とにかく黙々とやって、馬たちを良くしていましたよね。それが強さを支えていたのかなぁと思います。あともうひとつは、人間の都合に合わせないというか、馬に合わせていた部分も大きかったように思います。

[西]どういう部分で、ですか?

[松]わかりやすく言うと、放牧に出ている馬がいるとします。普通は『この馬をこのレースに使いたいから、いつ頃入厩させる』ということになりますよね。でも、当時の先生は『この週に入れ替えをするけど、どの馬がいま調子がいいんだ?』と聞いていました。

[西]つまりは、調子がいい馬しか厩舎にいない状態だった、ということですよね。

[松]そういうことです。

[西]いやぁ、本当にありがとうございました。もう1度ヘルパーとして、この世界に戻ってきてほしいと願っています。ありがとうございました。

[松]こちらこそ、ありがとうございました。



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