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西塚助手

【対談・松岡騎手①】久々の対談ゲストは、復帰を果たした松岡さんです!


松岡正海騎手…以下[松]
西塚信人調教助手…以下[西]

[西]コロナの影響でなかなか行えなかった対談が、久々に復活することになりました。ゲストはやはりこの人ということで、復帰を果たされた松岡さんをお迎えさせていただきました。よろしくお願いします。

[松]よろしくお願いします。このコーナー、ずいぶん続いていますね。

[西]おかげさまで。

[松]久々の対談が、俺みたいな古株でいいの?

[西]何を言っているんですか(笑)。でも、今年で何年目になるんですか?

[松]もうすぐ20年ですよ。今年37歳ですから。

[西]そんなになるんですか。ということは、松岡さんと会ってからもう15年以上経つということですね。ウイングランツダイヤモンドSを勝ったとき(※05年。初重賞制覇)の印象が強くて、しかも、これがそんなに昔には感じなかったりするんですけど(苦笑)。

[松]デビュー3年目ですよ。懐かしいですね。

[西]西塚厩舎にジョニーノデンゴンという馬がいて、その馬に乗りに来てくれたのが最初だったように思います。

[松]1700~1800mのダートを使っていて、鹿毛の馬でしたね。

[西]あの当時、松岡さんはよく厩舎回りをされていましたよね。ウチだけではなくて、火曜日、水曜日と厩舎を回って、助手や厩務員さんたちと話をされていた印象が強いんです。

[松]確かに、よく回っていましたね。

[西]で、同じように厩舎を回ってスタッフとよく話をする若手騎手って、意外と少なかったように思うんですよ。それ以外だと、ウチの馬に数多く乗ってくれていた田辺さんなどはよく来ていましたし、所属していた厩舎の場所も近かったので、大仲で一緒にゲームをやったりもしましたけど。

[松]そうですか? みんなやっていたように思うんですけど。

[西]それが意外と、いなかったんですよ。しかも礼儀正しくて、しっかりしていて、こういう若手がいるんだなあ、と思ったことを覚えています。

[松]それって、俺じゃなかったんじゃないの?(笑)

[西]当時ウチのスタッフともその話をしたくらいなので、間違いなく松岡さんですよ(笑)。

[松]ジョニーノデンゴンは覚えていますけど、厩舎回りをしたことは覚えていないんですよ。

[西]ということは、初対面は覚えてないですか?

[松]信人さんに限らず、古くからお付き合いしている方々との初対面はほとんど覚えていないかなぁ。当時は駆け出しでしたので、会う人すべてが初対面でしたから、すべてを覚えているのは難しいですよ。

[西]そりゃ、そうだね。

[松]一般社会人で言えば、営業に出て1年目の新入社員ですから、とにかく『よろしくお願いします』と頭を下げるわけですからね。

[西]松岡さんだけだったとは言いませんけど、そうやってしっかりと厩舎を回っていた若手は本当に少しでした。なぜ、そういうことをしようと思ったんですか?

[松]前田先生(前田禎元調教師)には『身を粉にして働くんだぞ』と言われていました。ですから、普段の調教はもちろんですけど、朝も誰よりも早く厩舎に行って、電気をつけて、飼い葉桶を外して、猫の餌もあげていましたよ。午後も厩務員さんたちが帰ってからもう一度厩舎に行って、馬房の掃除もしたり。まあ、20年前ですけどね。

[西]まだ、昔の名残が色濃くあった時代ですね。

[松]早く認められたい、というような意識もあったのでしょう。同時に厩舎の一員でもありましたし、先生が体調を崩しがちだったこともあって、しっかりとやらなければならないという思いはありました。

[西]そういったことを頑張って、順調に勝ち星を伸ばしていったよね。自分の記憶ではアイルランドから帰ってきたら、一気に勝ち始めた印象が強いんですよ(※遠征は06年6月中旬~9月中旬)。

[松]アイルランドでは、たくさん良い経験をさせてもらいましたよ。

[西]行ってみなければわからないことって絶対にあるはずなんですけど、いまは海外から日本にトップが来る時代になりましたよね。

[松]いまは若い騎手がお尻をつく乗り方をしたりします。でも、自分がアイルランドに行った頃は、まだそういう流れではありませんでした。海外から来ていた騎手だと、オリビエ(ペリエ騎手)、ケント(デザーモ騎手)はアメリカンスタイルの乗り方で活躍していて、そこから若い頃のライアン(ムーア騎手)、キーラン(ファロン騎手)などヨーロッパスタイルの乗り方をするジョッキーが来て活躍をして、乗り方が細分化されていく過渡期のような感じでした。



[西]なるほど。

[松]そこでアイルランドに行ってみると、日本とは馬場が全く違っていますので、当然乗り方を変えなければいけません。アイルランドに行ったことでその両方を経験できて、日本の馬場ではこう乗った方がいいとか、同じ日本の馬場でも状態によってはこう乗った方がいい、というようなことがわかって、乗り方次第でいろいろなことができるんだという余裕みたいなものが生まれました。馬にとってその状況で何がフィットするのか、ということをそれまで以上にしっかり考えるようになりましたから、それが成績となってあらわれたのかもしれません。

[西]松岡さんがアイルランドから帰ってきた当初と、今を比べると、乗り方のスタイルも騎手によっていろいろあったように思います。ルメールさんやミルコさん(M.デムーロ騎手)も通年ではありませんでしたし、当時は安藤勝己さんや岩田康誠さんのような地方から来た騎手の方々への注目度が高かったように記憶しています。

[松]簡単に言えば、派手に追うのがいいんだ、というような風潮になりつつある時期でしたよね。その時期にアイルランドに行くことができたことは、いろいろな意味で本当に良かったと思います。その上で、どういうスタイルで騎乗するかということについては、乗りやすさを重視した部分もあれば、日本の競馬、馬場、そして馬にフィットするのは何かということも、それぞれ自分の中で選択していきました。

[西]これは個人的な感覚なんですけど、松岡さんは派手に追うというか、いわゆるヨーロッパスタイルではないように思います。

[松]アイルランドをはじめ、ヨーロッパの馬場というのは日本とは全くの異質で、特殊なんです。日本やアメリカのように整地されて、造られているわけではなく、その多くは自然のデコボコのままの状態で、しかも馬場自体も緩かったりします。だから、アブミを長くして、脚の接地面を増やして、馬がバランスを崩すときに柔らかくついていって馬を起こしてあげないと、リズムを崩さずに走ることができないんです。向こうの競馬は日本と比べてペースが遅いとされますが、遅くないと走れないから、という面もあるんですよ。とにかく、日本とは競馬そのものがまったく違っています。

[西]実際、アイルランドに行っていろいろなことを経験した。でも、そのまま日本に持ち込んでもダメだと思ったりもしたの?

[松]日本はスピード競馬ですよね。例えば、日本ではレコードタイムが出ると注目されますけど、ヨーロッパでは全くそういう感覚がないんですよ。そもそも時計という概念があまりありません。極端な言い方をすれば、違う競技をしている感じだったりもして、でも良いところは取り入れればいいですし、合わない部分は取り入れなければいい、と思っていましたよ。

[西]そういう経験を経て、帰ってきたその年にプリサイスマシーンスワンSを勝って、マイネルレーニア京王杯2歳Sを勝った。僕の中ではそこから一気にスターダムに上がっていった、というイメージなんですよ。

※対談は12月9日。感染対策に配慮して行っています。

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