西塚助手
【対談・松岡騎手②】年間100勝した当時を、今振り返ってみると?
松岡正海騎手…以下[松]
西塚信人調教助手…以下[西]
[西]ところで、デビュー当時の師匠である前田禎先生にはどんなことを言われたんですか?
[松]けっこう何でも言われましたよ。馬乗りのこととか、昔のことなど、いろいろ言われました。でも、俺が前田厩舎所属だったなんて、知らない人の方が多いんじゃないですか?
[西]それは間違いないかもしれません。相沢厩舎からデビューしたと思っている人が多いんじゃないかな?
[松]それが、先日話をした菅原(明騎手)は、相沢厩舎にお世話になっていたことも知りませんでしたからね(苦笑)。横山琉人が弟弟子だと言ったら、『えっ。そうなんですか。相沢厩舎だったんですか?』と言われちゃいました。
[西]マジですか。一気に年をとった気分になるなぁ(笑)。
[松]知らなくてもいいんです。そうやって時代が変わっているんですよ(笑)。
[西]初めて重賞を勝ったのが05年、アイルランド遠征を行ったのが06年で、コイウタで初めてG1(当時Jpn1)を勝ったのが07年(ヴィクトリアマイル)。いまあの当時を振り返ると、どんな感じだったんですか?
[松]毎週毎週、一生懸命競馬に乗っただけ、という感覚でしたよ。
[西]デビューから間もないころ、単勝万馬券を連発したことがあって、そこで“松岡、凄いな!"というような流れがすでにあった印象があるんですよ。
[松]ありましたね。1頭はジェイケイさんの馬で、もう1頭は加藤征弘先生の管理馬でした(※)。
※05年2月27日。中山8Rで14番人気(175.6倍)のスターエフェクト(加藤征厩舎)、10Rで12番人気(101.6倍)のジェイケイベストを勝利に導き、騎乗機会2戦連続で単勝万馬券での勝利を飾った。
[西]覚えているんですね。さすがですよ。言い方が難しいんですけど、その時は自分がバックアップされているというか、トップジョッキーに昇っていく感覚みたいなものがあったんですか?
[松]いや、技術的な差は感じていましたよ。(横山)ノリさんや(柴田)善臣さん、あるいは蛯名さんや、あの当時で言えば後藤さんの方が上手だと思っていました。
[西]そういえば、松岡さんは当時からそう言っていましたよね。
[松]たくさん勝たせていただいたことで、俺は凄いとか、俺は上手くなったという感覚は一切ありませんでした。勝ち星の数は迫っていましたけど、良い馬に乗せていただいて勝っているだけで、技術的にはまだまだ大きな差があると思っていました。ですから、自分が活躍しているとは一切思ったことがなくて、活躍させていただいている、という思いでしたね。
[西]あの当時、実際にそういう話も聞いていたので、そうなんだろうなぁと思っていましたけど、その一方で“生意気になってきた"というような言われ方をしたこともありましたよね。それは松岡さん自身の思いとは違う捉えられ方だったと思うんですけど、それに対するストレスはなかったんですか?
[松]毎週、毎週一生懸命に乗っているだけでしたから、あまりそういうことは感じていませんでしたよ。
[西]そうやっていくうちに、JRA年間100勝を達成しました(10年)。あの頃、そばで見ていて感じたことがあって、一度達成したら毎年100勝を達成しなければならないという、プレッシャーやストレスみたいなものがあっただろうな、ということでした。
[松]毎週、プレッシャーはありましたよね。
[西]当時感じていたことと、年齢を重ねて経験も積んだ今から見たイメージでは、違った印象になるのは当たり前かもしれないけど。
[松]若かったからできたのかな、とは思いますよ。ただ、実際そういう位置に行ってみて思ったことは、勝てる可能性が非常に高い馬を依頼されて、そのような馬たちに毎週乗って勝ち星を重ねていくということは、思っていた以上に大変なことでした。
[西]いろいろな騎手の方々を見ていて思うのは、そうやってトップに登り詰めていく人たちは余裕がなくて、追い込まれているようにみえるんです。
[松]生活のすべてを投げうって、やらなければならないものですからね。騎手だけではなく、どの業界でもそうなんじゃないかと思うんですけど、トップの位置で長く頑張り続けるというのは大変なことです。実際にやっている方々のことは、本当に尊敬します。
[西]100勝したときは、“昇り詰めたぞ"と思いました?
[松]思いませんでしたし、正直に言うとガッカリした部分もありました。子供の頃、今でいうと野球の田中マー君(現・楽天イーグルス)のような活躍をして、稼ぐ人間になりたいと思っていたんです。その頃、確かにお金はたくさん頂いたんですけど、別の業界と比べるとどうなのか、とも思ったんですよ。
[西]トップジョッキーであっても、メジャーリーガーのトップと比べると、収入面では敵わないんですよね。ただ、上手く言えなくて、語弊があるかもしれないんですが、今の松岡さんは、そこに執着をしなくなったように思えるんです。
[松]言いたいことはわかりますよ。個人的には、義理を通せなくなりそうだったから、という部分は大きかったです。
[西]不義理なことをしてまでも、あの位置にとどまることはしたくなかった、ということですか?
[松]簡単に言えばそういうことです。正しいことと正しくないこと、あるいは美しいものと美しくないものというように、僕の中ではいろいろな基準があって、そこは僕がこれまで生きてきて変わらないものなんです。言い換えると、これは良いことなのか、そうじゃないのか、あるいは自分が生きていく上で何が大事なのか、あるいは損をしても大事にしなければならないものは何なのか。そういったことを、自分に問いかけながら生きているだけなんです。
[西]なるほど。
[松]松岡は言うことを聞かないとか、生意気だとか、反抗的だとよく言われるんですけど、別に言うことを聞きたくないわけでもないし、生意気を言っているつもりもないし、反抗したいわけでもないんですよ。ただ、自分自身と向き合っているだけなんです。
[西]こちらも、そう思っていますよ。
[松]自分としては、これが自分の生き方だと思っていますし、一番になるために何でもするというのは、僕は嫌なんです。いまの成績に満足しているわけでは決してありませんし、自分自身でできることは限られていますけど、実力で負けているとは思っていません。ただ、ノビーばりにブッチャけさせていただきますと、そこまでしてお金が欲しくはない、というのが正直な思いなんですよ。
[西]言いたいことはわかりますよ。負けずにブッチャけさせていただきますと、今の時代、技術や人と人の繋がりとかではなく、エージェント同士のやりとりでほとんどの騎乗馬が決まってしまっている。そういった現実があって、その中で一番になるために何でもする、というのは嫌だということでしょう。
[松]実際、一番になるのは凄いことだと思います。ただ、自分にはできないということです。人間として、思いがある人でないと一緒に仕事はしたくないと思いますし、一度きりの人生なので、自分の心に嘘をつきたくはないんです。たとえ凄い成績を収めることができたとしても、自分自身が格好悪いな、と思うようなことはしたくないですし、後ろめたい気持ちを抱いたままで引退したくありませんから。
[西]でも、年間100勝するという位置に行ったからこそ、感じることができた部分というのもあるんじゃないですか?
[松]もちろん、それはいろいろな方々の協力があってこそです。ただ、おこがましいかもしれませんけど、自分自身ではそのくらいは当たり前で、そのために生きているわけでもないつもりです。自分の能力を買い被っているわけではありませんが、自信もありましたし、それだけの努力もしてきています。ですから、登り詰めたという思いを抱いたことはないんですよ。
※対談は12月9日。感染対策に配慮して行っています。
※次回は2022年1月12日(水)の更新予定です。
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