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西塚助手

引退を決めた“同志”中谷騎手に贈る言葉


先週はオークスが行われ、デアリングタクト桜花賞に続いて二冠を達成しました。これで4戦4勝、無敗での二冠達成は1957年のミスオンワード以来で、実に63年ぶりだそうです。

それにしても、強かったですよね。いろいろな意見があると思いますが、もう一度同じメンバーでレースをしたとしても、結果は同じなんじゃないか、個人的にはそんな感想を抱くレース内容でした。

その父エピファネイアは、初年度産駒からいきなり大物を出したわけですが、僕自身も産駒に携わる機会があったんですよ。その馬は残念ながら中央では結果を出すことができず、現在は兵庫所属とのことですが、馬っぷりが良くて、雰囲気を感じる1頭でした。今後も携わることがあるでしょうから、改めて期待したいと思っています。

そんな歴史に残るオークスの一方で、先週は驚きのニュースが飛び込んできました。雄太(中谷騎手)の引退です。

雄太はこのコーナーで何度も名前が出ていますし、対談に出てもらったこともあります(※対談リンクはページ下部に)が、僕もニュースを見るまで知りませんでした。

発表が先週木曜で、翌日になってから本人に電話をしたんですけど、他の人からも電話が鳴りまくっていたようです。ですから、次の人生は競馬から離れるとのことですが、実際どうするのかも聞けませんでしたし、“まだやれるんじゃないか?"とか“なぜ辞めるんだ"とも言えず、ただひと言、「お疲れさまでした」としか言うことができませんでした。

僕と雄太がどんな関係だったのか、ご存じない方も多いでしょうから、ここで改めて話をさせていただきたいと思います。

雄太と知り合ったのは、僕が西塚厩舎に入ってすぐ、彼がまだ関東所属だった頃です。僕は入ったばかりで右も左もわからなかったところで、雄太が攻め馬を手伝ってくれて、馬のこと、調教のことなどを、いろいろ教えてもらったんですよ。

ですから、年齢は同じですが、この世界では恩人のひとりなんです。

雄太とはたくさんの思い出がありますが、まず思い出すのは、ノボダイエットという馬にまつわるエピソードです。その名の通りとても大きい馬で、シェイプアップさせたいなあ、と思わせるような馬体の持ち主でした。デビュー戦では結果を残せませんでしたが、その大きすぎる馬体を持て余している感じだったので、そこが解消されれば前進できるんじゃないか、という感触があったんです。

そんなノボダイエットは、僕たちの間で“ハミをさらっていく"といわれる、頭の位置が下がってしまうような馬でした。このような馬はトモを上手に使えないから、前重心でハミに頼ってしまうケースが多いんです。

でも、当時の僕は経験が浅く、どのように改善すればいいのか全くイメージができませんでした。

そんな時、雄太は「ここが良くなれば走るかもしれない」と言って、ロンギ場に行くと、後退する練習を始めたんです。

最初は、バックすることができませんでした。これは、馬に乗ったことがある人だと分かるかもしれませんが、口とトモが繋がっていなかったからです。つまり、ハミを通して口で受ける指示に対して、トモを上手に使えないから、後退することができなかったんです。

馬もできないし、できないことを続けるのは苦しい。しばらく暴れていましたが、雄太が「ちょっと俺に任せてよ」と言って、30分くらい格闘していると、次第にできるようになったんです。

結局、ノボダイエットは勝つことができませんでしたが、この後は走り方が格段に良くなったんですよ。走り方を知らないと力を出すことはできないわけですから、あの馬は雄太がいたからこそ力を出すことができたと、今でも思っています。

あとは、ハナタツマキも忘れられない1頭です。

ハナタツマキは初勝利を挙げた後、エビ(※屈腱炎)という診断を受けて、しばらく掲示板に載ることができませんでした。そんな時、雄太が「ダメ元で目一杯やろう。脚さえ保てば勝ち負けできるから」と言ったんです。

その通りにハードな調教を課したところ、馬も頑張って、雄太が乗って15頭立て14番人気で勝ってくれました。もう直線では「雄太、雄太」と絶叫しまくったことを今でも思い出します。

そんな雄太ですが、美浦にいた頃からケガの後遺症に悩んでいたことを知っていますし、苦しいこともあったでしょうが、それでも諦めずに頑張っている姿も見ていました。

やがて、西塚厩舎が解散になって、僕は尾関厩舎に移り、雄太は関西に移って矢作先生にお世話になることになり、もう少しで重賞を勝つところまで来ていました。僕もぜひ勝ってほしいと願っていましたが、引退が決まった今は、もう十分だよ、よく頑張った、と言ってあげたいです。

JRA通算181勝という成績は、決して多いものではありませんが、それでも彼なりに精一杯頑張っていたことは間違いありません。関東から関西に移籍して、30代半ばになって自身最多の勝ち星を挙げたことだって、誰にでもできることではないと思います。

雄太に限らず、騎手にケガはつきものですから、その後遺症と付き合いながら、ギリギリのところで頑張っている方はたくさんいます。そういった方々に、心ない言葉が向けられているのを見ると、本当に心が痛いです。

騎手を辞めることに関しても、いろいろ言う人はいるかもしれませんが、後ろ向きに考える必要はないと思いますし、次の人生でもこの頑張りが良い方向に向いていくはずです。

競馬に行くためのお金さえままならない厩舎に対して、雄太は真剣に、手を抜くことなく応援、協力してくれた。ベタベタした関係ではありませんでしたが、僕にとって同志だと思っています。

改めて、本当にお疲れさまでした。そして、ありがとうございました。胸を張って、次の人生に向かってほしいと思います。

中谷騎手対談記事リンク





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